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メールマガジン バックナンバー
メルマガ ブライト・ライト 🔴私の黒歴史🔴
私を形成する出来事を赤裸々に綴るメルマガストーリー
私の黒歴史 其の一 宿命
今でこそ人様に喜んでいただけて、お天道様にも顔向けできますが
叩けばホコリが舞うほど胸を張って言えない過去がございます。
父 林 麻生 母 宮岡 敏子のもと1967年10月7日
東大阪市で産声を上げました。
この画像の翌年に私は生まれることになるが、後に、金属バットを手に・・・
その話はまた後々に。。。
自分が生まれて直ぐに、東大阪市から門真市に移ったと聞いています。
父親が仕事を変えたことによて引っ越しをしたようです。
時は、1960年後半、三丁目の夕日から続く高度成長期、建設ラッシュで父親が肉体労働へ従事したことで、収入が上がったらしい・・・
ちなみにその当時のあだ名が、週三。
なぜ週三かというと週に三日しか仕事しないから・・・。
引っ越しをするそれまでは、人様の家。
二階へ登る階段下の物置スペースに住んでいたそう。
私の上に兄がいるのだけれど、目が悪く、その当時子守代わりがTVだったそうで、布団に入り寝ながらTVを見ていたから左目が悪くなったと聞いている。
兄が小さかった頃、居候させてもらっている家の襖を叩いたりすると叩いちゃダメだよ。と言われながら育った。
それを聞いた時、胸が苦しくなった。
好奇心旺盛な幼年期に、好奇心を持つことを抑制された兄。
それに比べると、小さいながらも自分の棲家がある環境で、貧しくとも、ひもじい思いをした記憶がない。
なんて恵まれてるのだろう、それに比べて兄は・・・小さい頃のそういった経験がそうさせてきたのでしょうか?
38度の熱があっても、仕事に行くその姿勢は輝いていました。
しかし、その姿は見る影もなくしていってしまう事に。
今日は、この辺で・・・次回は、異常なほど体が弱かった私。