加藤眞悟

mail magazine backnumber

メールマガジン バックナンバー

清経は再演します

『清経』を考える——「降りた人」という読み         加藤眞悟

10月30日、久良岐能舞台の「紅葉とお茶席とはじめての能」で、『清経』を舞います。私にとっては二度目の『清経』です。

人気の曲ですが、正直に申しますと、これまで自分から進んで舞ってきた曲ではありません。今回、ある見方に気づき、今なら舞えるかもしれないと思いました。先日、二人静の会(演目勉強会)でお話しした内容を、この通信でもご紹介いたします。

■ 妻のもとへ届く髪

『清経』は世阿弥の作とされる二番目物、いわゆる修羅能で、もとになったのは『平家物語』です。修羅能は、戦に生きた武将が、死んだあとも修羅道という戦いの世界で苦しむ姿を見せる能です。『敦盛』『忠度』『実盛』など、平家の人々を描いた曲がいくつもあります。

時は平安の終わり、治承・寿永の内乱の頃です。1183年、木曽義仲に攻められた平家は、幼い安徳天皇を伴って都を落ち、西へ向かって九州に入ります。清経が亡くなったのは、その九州でのことで、一ノ谷、屋島、壇ノ浦という大きな戦いの、どれよりも前です。『源平盛衰記』は、この入水を「平家の憂き事のはじめ」と語っています。清経は、平家の戦いが本格的に始まる前に、世を去った人です。

能のあらすじです。都に残る清経の妻のもとへ、家臣の淡津三郎が形見の髪を届け、清経は豊前の柳が浦で海に身を投げたと告げます。討たれたのでも、病で亡くなったのでもない夫の最期を、妻は恨み、嘆きます。泣き伏した妻が眠ると、その夢に清経の霊が現れます。

妻が恨みを訴えると、清経は、なぜ死を選んだのかを語ります。追われる身の焦り、戦いへの疑い、そして宇佐八幡の神託。月の夜、舟の上で笛を吹き、今様を謡い、念仏を唱えて、海に身を投げたのでした。死後は修羅道の苦しみに遭いますが、入水のときに唱えた十念の功徳によって成仏します。

旅の僧が戦場の跡で武将の霊に出会う形が多い修羅能の中で、『清経』は、家臣が妻に髪を届け、霊は妻の夢に現れます。修羅能でありながら、夫婦の話が中心にある。そこが、この曲の特徴です。

■ 『平家物語』に少ない記述を、なぜ世阿弥は

家系図をたどりますと、清経は清盛の孫にあたり、父は嫡男の重盛です。重盛は、清盛と後白河法皇の間で板挟みになり、悩む人として『平家物語』に描かれています。重盛が1179年に清盛より先に亡くなったあと、一門の中心は宗盛に移り、重盛の子たちは、その流れの中で都落ちに従いました。清経の兄の維盛、資盛も、海に身を沈めたと語られます。

これは私の想像ですが、平家には、義経と戦った知盛のような勇猛な武将がいる一方で、重盛の家には、悩みながら務めを果たす人が多かったように思えます。清経は、そういう家に生まれた人でした。

その清経について、『平家物語』の中心的な伝本とされる覚一本には、まとまった記事がありません。月の夜に、舟の上で笛を吹き、念仏して海に沈んだ、というごく短い記述です。諸本には違いがあり、入水の理由や妻の話の有無も、本によって異なると言われます。清経は、物語の中で、はっきりした姿を与えられていない人物です。

それでも世阿弥が取り上げた理由を、私は三つ考えました。

一つ目は、戦う前に去った人だという点です。敦盛も忠度も実盛も、戦場で討たれる人ですが、清経は、戦闘を待たずに自ら命を絶ちました。修羅能の枠からはみ出した、新しい題材だったのではないでしょうか。

二つ目は、優美さです。月の夜、舟の上、笛、今様、朗詠。公達にふさわしい場面がそろっています。

三つ目は、作り直す余地があったことです。形見の髪、妻の恨み、夫婦の情愛。夫を愛するがゆえに、夫の行為を恨まずにいられない妻と、無益な戦いから逃れて死を選んだ夫の葛藤として、世阿弥が組み立て直した、という指摘があります。短い物語に沿いながら、その空白を人の心で満たした曲、と言えそうです。

■ 柳が浦と宇佐八幡

入水の地、柳が浦は、大分県宇佐市の海岸のあたりと言われます。宇佐といえば宇佐八幡宮で、清経が死の理由として語る神託と、場所がつながります。九州で追い詰められた平家は神にすがりましたが、神託は、望みのないことを告げるものだったと語られます。

入水は、旧暦の秋のころの月の夜とされます。西に傾く月に、極楽浄土を願って、という説明もあります。西に沈む月と、西方の極楽。月は、清経にとって、救いの方角を示すものだったのかもしれません。能舞台には、海も月もありません。笛と謡とシテの動きだけで、海と月を思い浮かべていただく。そこが、能の面白さだと思います。

■ 一般的な見方

解説書や事典では、おおよそ次のように説明されています。

夫婦の情愛の能。運命と、無益な戦いへの疑いの能。十念の功徳で成仏する救いの能。そして、無常感と恋慕の哀愁が濃い、優美な修羅物。

演出では、小書「恋之音取」があります。笛の独奏と長い沈黙の中で、妻の夢に、清経の霊が少しずつ濃くなっていく、と説明されます。また、昔から『芭蕉』と『清経』の二曲が舞えれば上手、と伝えられています。『芭蕉』は抽象表現の極み、『清経』は心理や具象を描く曲で、対照的な二曲です。

戦に敗れ、運命に追われた若い公達が、妻の恨みを受けとめ、念仏で救われる。自然な見方だと思います。ただ、私には少し引っかかるところがありました。なぜ清経は死んだのか。「敗戦」と「運命」だけで答えてよいのだろうか、という点です。

■ 私の視点——仕組みから降りた人

清経が疑ったのは、この戦いだけでしょうか。武士の世界は、討つか討たれるかの世界です。勝てば手柄になり、負ければ命を失います。人を殺めることが、務めの一部になっています。清経は、その仕組みそのものから、降りたのではないでしょうか。

先ほど、戦闘を待たずに、と申しました。清経は一ノ谷より前に亡くなっています。私は、これ以上人を殺める前に降りた、と読みたいと思っています。世阿弥がそう意図した、と言うつもりはありません。作品から、私にそう見えてきた、ということです。

これは、現代にも置き換えられると思います。たとえば企業です。極端に利益を追えば、その陰で、過重労働や為替レートに泣く人が出ます。それに気づきながら、それでも仕事に励んでいる人がいます。続ける人にも、重さがあります。

清経は、続けませんでした。降りました。降りることは、「弱い」「逃げた」と見られかねません。いわゆる、女々しい、と言われるかもしれません。仕組みの中にいる人には、外へ出る人が、そう見えるものです。けれども、流れに逆らって降りることは、続けるより重いこともあります。

誤解のないように申します。私は、死を勧めているのでも、称えているのでもありません。清経が降りた先は、死でした。その先には、残された妻の恨みがあります。世阿弥は、降りた人だけでなく、残された人の痛みも、同じ舞台に置いています。降りる道は、本当に、死しかなかったのでしょうか。能は、その問いを、私たちに残します。

最後の念仏にも、一つ考えがあります。一般には、敗れた武将が阿弥陀仏に救われたと読まれます。私は、人を殺めて生きる世界から降りた清経を、阿弥陀の世界が受け止めた、という読みも、あってよいと思います。これも世阿弥の意図と言い切るものではなく、作品から立ち上がってくる、一つの読みです。

能は、答えを渡すものではなく、問いを置くものだと、私は思っています。

「清経は、何から降りたのか。そして、何から救われたのか。」

この問いを、お持ち帰りいただければ幸いです。

■ 余談——水

清経は、海に身を投げました。世阿弥の『実盛』に、「心の水の底清く、濁りを残り給うなよ」という言葉があります。道元禅師には、「濁りなき心の水にすむ月は 波もくだけて光とぞなる」という歌があります。清経の最期の念仏は、波立った心の水が、澄んでいく姿だったのかもしれません。

同じ世阿弥作の『采女』では、采女が池に身を投げます。男の武将は海に、女の采女は池に。ともに、権力の近くで生きた人が、水に身を投げました。

■ むすび

10月30日の舞台では、清経が妻の夢に現れる場面、なぜ死を選んだのかを語るクセ、終わりの、修羅道の苦しみから念仏へという場面を、ご覧いただければと思います。今回の見方は、私の一つの読みにすぎません。ご覧になって感じられたことを、大切にしていただければと思います。

メールマガジン バックナンバー

過去にお送りしたメールマガジンをバックナンバーとして公開しています。

メルマガを購読する