加藤眞悟

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能面『般若』は知恵の結晶

般若とソクラテス 〜能面から考える智慧の話〜

能面の「般若」について子供たちに話す機会があります。
参考書を開くと、
「嫉妬に狂った女性が鬼になった姿」
と説明されています。
もちろん間違いではありません。
しかし私は、子供たちには少し違う話をしています。
「これは心が空回りしてしまった人の顔なんだよ」
と。

人は誰でも悩みます。
腹が立つこともあれば、悲しいこともあります。
しかし、その気持ちを一人で抱え込み続けると、だんだん心が行き場を失ってしまう。

誰かに相談できていたら。
友達でも、先生でも、家族でも。
ほんの少し勇気を出して話せていたら。
この人は鬼にならなかったかもしれない。
だから私は子供たちに、
「悩みがあったら誰かに話してごらん」
と伝えています。

最近、子供たちの自殺のニュースを見るたびに胸が痛みます。
能面の般若を見るたび、鬼の顔というよりも、誰にも助けを求められなかった人の顔に見えてしまうのです。
だからこそ私は、誰かに話すというただそれだけのことを、子供たちにも、大人にも、伝え続けたいのです。

さて、「般若」と聞くと『般若心経』を思い浮かべる方も多いでしょう。
般若心経の「般若」とは智慧のことです。
単なる知識ではありません。
物事の本当の姿を見抜く智慧です。
怒りや悲しみ、執着や思い込みに振り回されている自分自身の姿に気づく力とも言えるでしょう。
そう考えているうちに、私はふと古代ギリシャの哲学者ソクラテスを思い出しました。

ソクラテスは、
「無知の知」
を説きました。
自分は分かっていると思い込むことこそ危険であり、
「私はまだ分かっていない」
と気づくことから本当の智慧が始まると言ったのです。
そして問いを重ねながら、相手自身に答えを見つけさせました。
これを「産婆術」と呼びます。

不思議なことに、ソクラテスの言葉と仏教の般若には通じるものがあります。
どちらも、
「自分は正しい」
という思い込みを見つめ直すところから始まるからです。
もしソクラテスとお釈迦さまが出会ったら、どんな会話をしたでしょう。
ソクラテスは、
「本当にそうなのですか」
と問い続けるでしょう。
お釈迦さまは、
「その執着が苦しみを生むのです」
と静かに語るでしょう。
さらにそこへ維摩居士が現れたら——これはあくまで私の想像ですが——二人の議論を聞いたあと、何も言わず黙っているかもしれません。
言葉で語れることには限界があると知っているからです。

考えてみれば、能もまた似ています。
能は最後に答えを教えてくれません。
『蝉丸』も、『采女』も、『隅田川』も、
「だからこう生きなさい」
とは言わないのです。

ただ一つの人生を見せて、
問いだけを残して終わります。

その問いを受け取るのは観客です。
それぞれが自分の人生を重ねながら考える。
そこに能の奥深さがあります。

能面の般若も同じなのかもしれません。
鬼の面でありながら、
実は私たち自身の心を映す鏡でもある。

私は最近、般若の面を見るたびに考えます。
鬼とは何だろう。
鬼はどこにいるのだろう。
もしかすると鬼とは、
私たちの心の中で行き場を失った怒りや悲しみの姿なのかもしれません。

そして般若の智慧とは、
その鬼に気づくことなのかもしれません。
そう思いながら、今日も般若の面を見つめています。
(加藤眞悟)

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