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妄想 「蝉丸」は死んでいた
『蝉丸』の結末の謎——別離の留めは誰が書いたのか——
加藤眞悟
能『蝉丸』を謡ふたび、舞うたびに、私は最後の別離の場面では、いつも素朴な疑問を覚えます。
盲目ゆえに逢坂山へ捨てられた皇子・蝉丸。
異形の狂女として彷徨う姉・逆髪。
二人は境界の地・逢坂山で再会します。しかし、この曲には救済がありません。都へ帰るわけでもなく、山に留まるわけでもない、元雅的な奇跡が起きることもない。『隅田川』では亡霊との邂逅があり、『弱法師』では盲目の心眼が現実以上の世界を見せ、『歌占』では占いによって初めて親子の再会が認識されます。元雅の作品には、現実を超えて一瞬真実へ触れるような、不思議な奇跡の瞬間があります。
ところが『蝉丸』には、それがありません。ただ束の間の再会ののち、「これまでなりやいつまでも、名残はさらにつきすまじ。暇申して蝉丸」という行き場の見えない暗い別離で幕となります。
『今昔物語集』の蝉丸の説話では源博雅への秘曲伝授という「芸道継承」の結末を迎えていました。ところが能作者は、その救いをあえて捨てたのです。
『申楽談儀』に「逆髪の能」として記録が残ることから、世阿弥(または一門)が深く関わっていた可能性は高いと思われます。しかし、どうしても感じるのです。この結末だけには、世阿弥とは少し違う「影」があると。
世阿弥の作品には、夢幻能の構成の中では、深い悲しみの中にも西方浄土という救済へ向かう回路が用意されており、狂女物では再会の喜びで終わります。ところが『蝉丸』は違います。再会しても別離という結末で、悲しみが舞台に残されます。『隅田川』に通じる、救われない余韻のようなものがあります。
ここで思うのは、中世の猿楽は作者固定の作品ではありません。上演共同体の中で改作・加筆を重ねながら育ってきた芸能です。
新作能、復曲能に関わると必ず観る人、誰に向かって公演するのか?と切実な現実と向かいます。
「誰がこの終わりを書いたのか」だけでなく、さらに「誰がこの終わり方を需要していたのか」という問いに向き合ってしまいました。
観阿弥・世阿弥親子は足利義満のもとで時代のスターとなりました。しかしその後、世阿弥は冷遇され、息子・元雅は早世し、世阿弥自身も佐渡へ配流されます。当時の貴族・武家層は、そうした「栄華と没落」「才能ある者の死」「残される者の悲しみ」をリアルタイムで目撃し、自分ごととして感じていました。彼らこそが、この「救いのない別離」を需要していたのではないか——。また当時の作品にはそのような作用があったのではないか?という想像です。舞台上の蝉丸と逆髪に、自らや世阿弥一門の姿を重ね、「先に彼岸へ行ってしまった者(元雅)」と「残された者(世阿弥)」の別れを重ね、仮託して見つめていたのかもしれません。
もしこの終わり方に、そうした観客の痛みや諦念が重なっていたとしたら——。
「暇申して蝉丸(=元雅)」という言葉は、単なる別れではなく、死者が再び彼岸へ帰っていく響きすら帯びてきます。音によって亡くなった者の魂が目の前に現れた。それが逢坂の関の蝉丸の琵琶の音だった気がします。
もちろん、これは史料に基づく結論ではなく、舞台に立ち続ける者が感じるひとつの妄想です。
けれど『蝉丸』には、説明しきれない深い余韻があります。
舞うたび、思うのです。
蝉丸の 「逆髪の能」は 世阿弥舞ひ
別離の留めは 誰が書いたの 誰が観ていた
以上