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隅田川と木賊
『隅田川』と『木賊』
——型と詞章に秘められた仮託——
加藤眞悟
去る5月5日、国立能楽堂にて明之會を勤めさせていただきました。『采女』『隅田川』、皆様のお陰をもちまして無事に終えることができました。心より御礼申し上げます。
舞台を終えて、改めて『隅田川』と『木賊』の深い繋がりについて思うところをしたためてみました。
【クセ詞章——「昔に返す舞の袖」】
『木賊』のクセに、こんな詞章があります。
「然るに教主釈尊も。羅睺為長子と説き給へり。いはんや二仏の。中間の衆生として。恩愛のあはれを知らざらんは。木石に異ならず。石の火の光りの間をだにも。などや添ひもせぬ。親は千里を行けども。子を忘れぬぞ誠なる。子はあつて千年を経れども。親を思はぬならひとは。今身の上に知られたり。
シテ「げにや人の親の。
地「心は闇にあらねども。子を思ふ道に迷ふとは。誠なりや我ながら。其面影の忘られぬ。昔に返す舞の袖。我子はかうこそ舞ひし物を。此手をばかうこそさしゝぞとて。左右に颯々の袖を垂れ。一つは又酔狂もまじると人や御覧ずらん。酔泣きも子を思ふ。涙とや人の見るべき。子を思ふ。」(序の舞)
【クツロギ正へ——幕への方向】
「昔に返す舞の袖」の詞章のところで、演者は正先からシテ柱へ、四、五足クツロギ(直線で進む、休むという意味)正へ向きます。通常クセの舞の途中にシテ柱へクツログことはありません。そこは「気持ちを変えるため」とだけ教わります。それ以上のことは教わりません。
稽古を重ねるうちに、ふと気づきました。クツロギ正へ向くとは、幕の方向へ向くことです。幕は、あの世への入口です。
「昔に返す」という詞章と、幕へ向くという型が、この一瞬に重なります。行方知れずの子を思う「昔」が、幕という方向と一致する。これはたまたまなのか。もしかしたら何か意図があるのかもしれないと思いました。
『木賊』では父子は再会を果たします。しかし現実の世阿弥は、愛息元雅に先立たれました。この型を考えた観世太夫が、表の物語の中に、元雅の死と浄土への願いを静かに折り込んだのではないか——隅田川を舞い終えて木賊のことを思い出しのでここに記しておきたいと思います。
【『隅田川』との呼応】
『木賊』と『隅田川』には、似たところが多々あります。
まず詞章です。『木賊』クセの「げにや人の親の心は闇にあらねども」は、『隅田川』シテの出の文句と同じです。能作者がこれを偶然に置いたとは思えないのです。
次に箒木伝説の継承です。『木賊』の老人は旅僧に「園原や伏屋に生ふる帚木の ありとは見えて逢はぬ君かな」の歌を語ります。遠くから見えて、近づくと消える箒木——それは行方知れずの子そのものの比喩ではないでしょうか。
そして『隅田川』の上歌にこの一節があります。
「残りても。かひ有るべきは空しくて。有るはかひなきはゝきゞの。見えつ隠れつ面影の。定めなき世の習ひ」
箒木(ハハキギ)がそのまま書かれており、「見えつ隠れつ」と続きます。『木賊』の「ありとは見えて逢はぬ」を、『隅田川』が引き継いでいるように思われます。ここは『木賊』一編を上歌に凝縮しているように感じます。舞台では、自然と心がそう動いてじっと「下ニ居」(座る)していました。
また『木賊』の老人は東山道の神坂山の峠越えで疲れた人のために往来の道に旦過(休憩所)を建てます。『隅田川』では都のが懐かしいと塚を人の集まる場所へ作ります。今は居ない我が子のために場所を作り、人を集め、邂逅の奇跡を願います——両曲は似た構造を持っているように思います。
元雅は『木賊』(古名フセヤ)をよく知っていて『隅田川』を書いたのかもしれない。又は『木賊』は『隅田川』を深く知っていた者が作ったかもしれないと思います。両者は、箒木伝説を意図的に書き、「げにや人の親の心、、、の言葉を引き継いだのではないでしょうか。そして『木賊』のクセで一旦クツロギ正へ向く型を考えた太夫も、世阿弥、元雅親子の敬愛という同じ思想の中にいたように感じます。
木賊から隅田川へ——それは親子の情愛の物語の継承であると同時に、シテと子方は、世阿弥と元雅という現実の父子への、仮託であったように思われてきます。
以上