加藤眞悟

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2026年5月5日明之會へ向けて「心の水」

「心の水」を湛えて――5月5日「明之會」に向けて

 新緑の候、皆様におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。能楽師の加藤眞悟です。
 来る五月五日、国立能楽堂にて「第二十八回 明之會」を開催いたします。本年は、世阿弥の『采女(うねめ)』と元雅の『隅田川』という、対照的な二曲を「独演能」として勤めさせていただきます。
 先日、隣町珈琲にて行われた座談会では、釈徹宗先生、安田登先生と共に、この『采女』という曲を深く掘り下げて参りました。その中で、現代を生きる私たちの心に響く、いくつかの「水の物語」が見えてきました。

制度に翻弄される魂の救済
『采女』の舞台は奈良・猿沢池。帝の寵愛を失い、池に身を投げた伝説の女性の物語です。彼女が背負っていたのは、単なる失恋の哀しみだけではありません。郷里の期待を背負って都に上がった彼女にとって、寵愛を失うことは「帰る場所」を失うことでもありました。
現代社会において「生きづらさ」を感じ、居場所を失いかけている多くの魂と、千年前の采女の孤独は、どこか深く繋がっているように思えてなりません。

序の舞:精神が向上していく十五分間
 この曲の白眉は、後半に舞われる「序の舞」です。
能における「舞」とは、単なる視覚的な美しさではありません。それは論理を超えた「無」の時間であり、演者の精神が円運動を繰り返しながら、より高みへと昇華していくプロセスです。
釈先生はこれを、仏教の「唯識(ゆいしき)」になぞらえ、心の深層心理が浄化されていく過程であると仰いました。演者である私の精神と、客席の皆様の無意識が共鳴し、そこにそれぞれの「花」が咲く……。そんな祈りのような時間を共有できればと願っております。

出典なき「能独自の言葉」
 曲中に「水滔々(とうとう)として、波又悠々(ゆうゆう)たり」という美しい一節があります。
最新の知見(AIによる調査も含め)を持ってしても、この言葉に完全な中国古典の出典は見当たりませんでした。つまりこれは、世阿弥が古典を深く咀嚼した上で、この曲のためだけに「鋳造」した、能独自の言葉であるということです。
出典がないことこそ、世阿弥の劇作術の凄みであり、能という芸術が持つ自律性の証明でもあります。

 五月五日の舞台では、この「滔々」「悠々」という言葉の響きを、猿沢池の波紋のように会場全体に広げたいと思っております。

皆様のご来場を、心よりお待ち申し上げております。

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