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采女は成仏したのか? 世阿弥さん如何でしょうか!
【能楽深層】采女は「成仏」したのか――時間のねじれと二重性の美学
読者の皆様、こんにちは。加藤眞悟です。
今回は『采女』をめぐる、私自身がずっと引っかかってきた問いをお伝えしたいと思います。従来の「悲哀の女性」という読みを否定するのではなく、その底にある層を照らし出すことができれば、と考えています。
「至りたり」と「生まれん」――見逃されてきた時間のねじれ
『采女』の後場の最初の地謡の詞章に、こうあります。
「しかもところは補陀落の南の岸に至りたり、これぞ南方無垢世界、生まんことも頼もしや」
この「生まれん」は、推量の助動詞「む」の音便であり、過去形ではありません。采女は「生まれた」とは言っていない。あくまで「生まれようとすることも頼もしい」と言っているにすぎないのです。
ところがその直前、「至りたり」は完了の助動詞「たり」の終止形です。采女は断言している。すでに補陀落の南の岸に到着した、と。到着はしている。しかし「生まれん」は未来を向いている。つまり「到達しているのに、なお生まれていない」——この時間的なねじれこそが、この曲の最も深い謎であり、これまでの解釈が見逃してきた手がかりではないかと、私には思われます。
「石根雲起」――自然の理への感応
采女の夜遊の回想シーン
「石根に雲起こって雨は窓漏(ソウヨウ)を打つなり」
これは単なる情景描写ではない、と私は感じています。山に雲がかかれば雨が降る――自然の因果律そのものです。そしてその雨が「窓漏(ソウヨウ)」、すなわち心の窓を打つ。外界の因果が、内面の出来事として響く瞬間がここにあります。
舞台上の演技ではここで、地謡・囃子方全員が緊張感を持ってその間(ま)をやや広げながら作り上げていきます。地謡が「窓漏(ソウヨウ)」と謡ひ終え、その息「・」の間——そこへ大鼓がチョンと大きく打ち(△)、全員の集中力がその一点に向けて収斂していく。そしてシテは左足の拍子「ドン」を踏み、「打つなり」と地謡が続きます。
ここは、ポツンと一粒の雨が心の窓に落ちる音のようであり……采女がその瞬間に何かに触れてしまった、自然の理に気がついてしまい、琴線に触れた心の喜びの瞬間——そういう思いに心を馳せて、その足拍子を踏むようにしています。
ここで一つ、正直に申し上げたいことがあります。
もし采女が「悲哀の女性」にすぎないなら、なぜこの瞬間に足拍子を踏むのか。私にはなかなか理解できません。もし悲哀だけならば、ここまで全員が集中して殊更にしてまでの足拍子は要らないのではないかと思ってしまいます。足拍子は、詞章を強調する時に踏む、ここでは自然の理に対しての足拍子が素直な型の理解の方が良いと思います。
采女はここで、経典でも僧でもなく、石根の雲、窓漏の雨という自然の理に直接触れてしまった。庶民は野の花を見て「自分もいつか死ぬ」と感じるように、理屈抜きで。……世阿弥はそのことを感じとっていたのではないかと、私には思われます。
「讃仏乗の因縁」キーワード
「・打つなり」の後に次の詞章は続きます。
「遊楽の終夜これ采女の戯れと思うなよ。讃仏乗の因縁なるものを」
「讃仏乗の因縁」とは、仏の教えを讃え広めるという宗教的な因縁です。僧と采女の出会いは、法華経の「龍女の変成男子」の故事を後場の最初の地謡で謡わせておいて、男女の優劣を超えた場へと開かれていきます。
采女の気づきは、この因縁によって初めて生じたと断定するよりも、「石根雲起」という自然の感応がまずあり、それが後に仏教的言語によって意味づけられたとも読めるのではないか。
采女は悟りに至ったのではなく、先に自然の理に触れてしまい、後から仏教的な説明がされている存在なのかもしれません。……この順序が作品に独特の奥行きを与えているように思います。
そして讃仏乗の因縁、仏の前では、僧も采女も釈迦のいち弟子であり、世俗世界は持ち込めない者であり、全からく平等なのです。
「また波に入りにけり」――二つの読みの同時成立
そして終焉。
「よく弔わせ給ひて変性やとて、また波に入りにけり、また波の底に入りにけり」
従来の解釈では、この繰り返しは救済に届かなかった女の悲哀とされてきました。執着ゆえに変成男子の機会を逃し、また波に沈む――その反復が哀れを誘う、と。
しかし、まったく逆の読みも成立するかもしれません。
「南の岸に至りたり、、、生まれんことも頼もしや」と到達しながらもなお生まれきらない采女は、固定された終着点に収まらない存在です。
観音菩薩が補陀落から三十三応現するように、采女もまた「海の女」の形を保ったまま、この世とあの世を往還するものとして現れているとも読める。……能という芸能は、どちらかに決めません。観客は、執着としての反復を見ることもできるし、自在としての往還を見ることもできる。その揺れ自体が、この曲の核ではないかと思います。
老荘思想という「手前の層」――仏教以前の悟り
ここで一つ、私の読み込みとして申し上げておきたいことがあります。
釈迦は生・老・病・死という四つの苦悩を説きました。しかしよく考えてみれば、人間は経典を学ぶ以前に、春夏秋冬を見て、やがて自分も死ぬことを知るのでしょう。木の葉が落ち、雪が積もり、また芽吹く——その繰り返しの中に、理屈抜きで死と再生を感じてていた。それは仏教以前の悟りと言ってもよいかもしれません。
采女の「石根雲起」は、まさにその層から来ています。経典学者でもある僧は経典という「宗教・文学」を通して悟りに至ろうとする。しかし采女は違う。石根の雲、窓漏の雨という自然の因果律——物理とでも呼ぶべき直接的な感応によって、僧よりもより根源的な場所に届いてしまった。
これは『老子』の「道法自然」——「自然とは自ずから然る」という思想と深く響き合います。そしてそれは中国から渡来した思想であるにもかかわらず、日本の庶民が持っている自然の中の理の感性、神道の「万物に霊が宿る」という古層と見事に合流している。
仏教界からすれば傍流とされ、能仏教とも揶揄される「草木国土悉皆成仏」という思想も、庶民にとっては至極自然な感覚だったはずです。老荘思想が日本の風土と庶民感性に触れて変容し、自然優位の思想として根付いていった——私はそれを「能老荘思想」とでも呼びたい気持ちになります。
采女は経典でも僧でもなく、心の窓に落ちた一粒の雨によって、文学宗教以前の真理——すなわち「物理」の理——に触れてしまった。だからこそ、あの瞬間の足拍子には深い意味を込めて一つ踏みます。それは悲哀の反応ではなく、自然の理に気づいてしまった、琴線に触れた喜びの一打として。
結び――「成仏したか否か」という問いを超えて
采女は「成仏したか否か」という問いそのものを無効にする存在かもしれません。到達しながらもなお生成の途上にあり、執着と自在のあいだを往還する。
そしてその底には、仏教の救済論よりもさらに古い層——自然の理への直接的な感応という次元が流れているように、私には思われます。それは仏教と対立するのではなく、禅や天台の最奥部とも静かに重なり合うものでしょう。
だからこそ私たちは、この一曲を観るたびに、あの足拍子の一打に、言葉にならない広がりを感じるのではないでしょうか。