加藤眞悟

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元雅作の『隅田川』東の果ての隅田川

「東の果ての隅田川」——元雅が描いた、救われないその先の夜明け
                                  加藤眞悟

今回のメルマガでは、能『隅田川』をめぐる、ある問いについて考えてみたいと思います。

「元雅はなぜ『隅田川』の舞台を、東の果ての隅田川にしたのか」

この問いをきっかけに、私たちは観世元雅という能作者の思想の核に、少しだけ近づけたかもしれない——そんな気持ちで、話を進めさせていただきます。

川は彼岸かもしれない。

川を渡った先に、念仏の世界があり、我が子の亡霊に会う。ならば、西方浄土を思わせる西国の川の方が、世阿弥的な思想回路にはふさわしいようにも思われます。それなのに元雅は、武蔵と下総の境を流れる「東の果て」の隅田川を選んだ。

リアリストであったと言われる元雅は、そこで何を描こうとしたのでしょうか。

●世阿弥と元雅——西と東、幽玄とリアリズム

世阿弥が死後のユートピアを幽玄のうちに描こうとしたのに対し、元雅は此岸の現実を真正面から見つめようとした——そう言われることがあります。

西方浄土を志向する「西」の思想が、夕日とともに死後の安らぎへと物語を導くならば、「東の果て」はこの世の果て、これ以上逃げ場のない現実の極地とも言えるかもしれません。元雅は敢えてその場所を選び、母が我が子の亡骸の塚に辿り着く物語を紡ぎました。

作品外のことを考えてみます。

もし母が子の塚に辿り着けなければ、彼女は一生、狂気のまま流浪の旅を続けていたかもしれません。
もし亡霊に出会うことがなければ、半信半疑の疑念の残る念仏に終わっていたでしょう。

元雅は、母に「我が子はもうこの世にいない」という現実を、どうしようもなく突きつける——そのように見ることもできるのではないでしょうか。

●子方論争——視覚効果論ではなく、リアリズムの追求

世阿弥の子、元能作の世阿弥の芸談集『申楽談義』には、世阿弥が「子方を出さない方が幽玄である」と語ったという有名な記述があります。単なる視覚的な効果論として語られることの多いこの「子方論争」ですが、元雅にとっては視覚的問題とは別の意味を持っていたのかもしれません。

元雅はあえて、我が子の亡霊を「子方」として舞台上に現します。それは、母がその腕を伸ばしても、何も掴めないという痛みを、観客の前に差し出すためだったのではないでしょうか。

抱きしめられない腕。
すり抜ける虚しさ。
救われないままの別れ。

念仏は唱えられても、子は明確に浄土へ導かれるわけではない。母はただ荒野に取り残される。元雅は、宗教的救済の物語が持つ「物語る」ことを、あえて「物語らない」ことで、喪失の質量そのものを描き出そうとした——そう捉えることもできるように思われます。

●それでも、東の空は明ける

そして、夜明けが来ます。

東は生きることでの再生である——そのように考えることもできるのではないでしょうか。

西が死後の安らぎや来世での再生を約束する方向だとすれば、東はまさに「この世」の始まり——生き続けることそのものを示す方向です。

母は、子の死という現実を直視した。亡霊とすれ違う虚しさを知った。救われないまま、荒野に取り残された。それでも、夜は明ける。

そこにあるのは、何かを「乗り越えた」という劇的な再生ではないかもしれません。乗り越えられない悲しみを抱えたまま、それでもなお「次の日」を生きるという、一回限りの、何の保証もない「生」への意志——そのようなものを、元雅は描こうとしたのではなかったでしょうか。

元雅は、子方という最も儚い存在を登場させることで、幽玄の対極にある「無情の現実」を描き出しました。そしてその無情の只中で、東の空がほのぼのと明ける情景だけを、救いの代わりに、そっと置き去りにした——そのように見ることも、可能かもしれません。


●夜明けは、何を問いかけているのか

「東の果ての隅田川」で、母は夜を明かします。

宗教的な救いではなく、現実を直視した先に訪れる朝の光。それを、生きることでの再生と呼ぶことができるのでしょうか。

元雅が私たちに問いかけているのは、もしかすると、こういうことなのかもしれません。

——それでもなお、朝は来る。その時、あなたはどうするのか。

夜の念仏と亡霊のすれ違いという現実を通過した先に、東の空がほのぼのと明ける。その情景は、ただの悲しみを超えて、私たちに静かに、しかし確かに、何かを問いかけているように思えてなりません。



今回のメルマガは、ある方の深い問いかけと、それに寄り添う対話から生まれました。
芸能の奥底にある思想に触れるとき、私たちは自分自身の「生きる」ということを、あらためて問われているのかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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