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采女の古層ヘ③
水滔々——世阿弥の呪術と采女の言葉
加藤眞悟
『采女』は世阿弥の名作です。その終曲に、印象的な言葉があります。猿沢の池の面に、「水滔々として波また悠々たり」とかや。
この「水滔々して波悠々たり」は、どこかに典拠があるとぼんやり思われてきたかもしれません。しかし白居易をはじめ漢籍・仏典を探しても、対応する出典は見当たりません。『翁』の詞章に「とうとうたらりたらりら、、、」「鳴は滝の水、、、絶えずとうたりありうとうとうとう」という呪術的な水の言葉があります。「とう」の音と「滔々(とうとう)」の重なり——世阿弥がその呪術的な言い回しを踏まえて使ったか、あるいは漢詩の語法で独自に作り出した言葉か。いずれにせよ、世阿弥が、浄化の力のある言葉として『采女』成仏への導きの場面で使いました。
采女が残す言葉——「讃仏乗の因縁なるものを、良く弔わせ給へやとて」。
この解釈に光を当てたのが、小書き「美奈保之伝」という表記にあります。万葉集において「美奈」は水を、「保(ほ)」は古語で「面(おもて)」を意味します。「水面」と書けば意味が先立ちますが、「美奈保」と表記された瞬間、読み手は万葉の時代へと誘われます。この小書きは律令制下の采女像を削ぎ落とし、大和政権時代の采女——天皇の側女として皇后にもなり得た存在——の姿を浮かび上がらせます。
その采女が最後に言い残す「良く弔わせ給へ」。文法上、「給へ」は命令形にもなりえます。「采女の戯れと覚すなよ」と自らの格を示した采女が、僧へ向けて念を押すように——「よく弔え」と。通常の懇願ではなく、毅然とした言葉として読むことはできないでしょうか。
そして「また波の底に入りにけり」は、哀れに沈んだ思い池の消えぬ澱みではなく、浄化された池の底へ采女の霊が帰ってゆく。そのような読み込みも可能ではないでしょうか。