加藤眞悟

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第28回「明之會」へ向けて

「明之會」に向けて
作品の背景と、そこに込める想いをお話ししておきたいと思います。
                          (2026、3/5)                                                                                    加藤眞悟            

【世阿弥が抱いた「修羅の恐怖」と救済】
 世阿弥は足利義満の寵童となり、権力者の孤独と苦悩を間近で見てきました。当時の武士は人を殺めており、仏教の「六道輪廻」という観点からは、死後、人間界の下にある「修羅道」に落ちるという恐怖の中にありました。仏教を広め、国を治めるほどに、良心には募る苦悩が生まれるのでした。
 この苦悩に対し、世阿弥は『実盛』や『清経』といった修羅能を完成・発展させることで、救いを示しました。また、貴族文化の歌に対しても、恋愛は邪婬地獄に通ずるという仏教の教えから救うために、報われない恋でもあの世に浄土を描く『井筒』『采女』などを創り上げたの一面もあると思います。

【元雅の「現世の奇跡」——父の作風への対立】
 しかし、息子の元雅はこれに問題提起しました。「お父さん、違うよ!死んだらおしまいだ。この世が全て。生きている時の奇跡の瞬間」という声が、作品から私には聞こえてくるように感じます。
 元雅は『隅田川』において、子方の亡霊に会うという奇跡を描きました。『弱法師』では目が見えていた時よりも心眼は美しいと説き、『盛久』では観音経読誦による日蓮と同じ奇跡を描き出しました。作風における親子の目指す違いを感じます。

【世阿弥の「して良きにつくべし」という全肯定】
 それでも世阿弥は、元雅の才能を信じていました。
有名な『隅田川』の子方論争において、自らの主張はありながらも元雅を否定せず、「して良きにつくべし(演者が良いと思う方を選びなさい)」と言い残しました。これは、父が息子の異質な才能を認め、全肯定した瞬間です。
 この複雑な親子関係の投影は、『木賊』『邯鄲』『天鼓』などの名作の中にも見れるように感じます。

【『采女』美奈保之伝に思う】
 今回のメインである『采女』は、世阿弥のニューマニズムが結実した傑作です。世阿弥は自ら命を絶った人をも救うべく『采女』や『清経』を作りました。
 『采女』については、「遊楽の終夜 これ采女の戯れと覚すなよ。讃仏乗の因縁なる」という解説にハッと気づかされることがありました。「水滔々して、波悠々たり」にも言及して、事前講座(4/25)で詳しくお話しさせて頂きたく存じます。

【妄想と予祝】(笑われてしまいますが)
 今回の明之會を勤めるにあたり、恥ずかしながら秘めた望みがあります。当日、楽屋や客席に世阿弥と元雅、二人の魂が見にやってきているのではないか、という光景です。
 昨今「引き寄せの法則」などが流行っておりますが、「妄想」は、何度も思っていると「もう、そうな(ってしまう)」という、日本古来の「予祝(よしゅく)」の中にあるのではないかと思っています。
 明之會での『采女』『隅田川』の独演二番能。当日は、いろいろな死に様の魂を救う世阿弥の思い、そしてリアリズムの元雅に対する世阿弥の思いが交錯する『隅田川』。二人の対話が時空を超えて響き合い、舞台を見守ってくれている。客席にも楽屋にも、、、、

 そんな「妄想」を夢見て、一所懸命に舞台を勤めてまいりたいと思います。

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