加藤眞悟

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能の本質


能の本質

― 鎮魂歌としての役割と、散楽物真似芸から精神文化への遍歴 ―

能は、日本の伝統芸能の中でも、特異な位置を占めています。それは単なる娯楽ではなく、死者の霊を慰め、魂を鎮める「鎮魂歌」として成立してきた芸能だからです。能の成立過程をたどると、日本人の死生観と精神文化が、どのように芸能の中に昇華されていったかが見えてきます。

その源流は、奈良時代にまで遡ります。仏教の伝来とともに、中国・唐から多様な芸能が日本にもたらされました。一つは宮廷儀礼に用いられる正楽、すなわち後の雅楽です。そしてもう一つが「散楽」と呼ばれる芸能でした。散楽は、曲芸、幻術、舞踊、物真似などを含む雑多な芸で、民衆向けの軽快な娯楽として広まりました。

この散楽の中でも、人や動物の真似をする物真似芸は、日本の土着の信仰や祭礼と結びつき、次第に変質していきます。寺院の法会や祭りで演じられる中で、単なる笑いの芸ではなく、霊を慰める呪術的な役割を帯びるようになったのです。ここに、能の本質である「鎮魂」の萌芽を見ることができます。

平安時代に入ると、散楽は「猿楽」と呼ばれるようになり、寺院の呪師や神事と結びついて、より宗教的な性格を強めていきます。中でも重要なのが「翁猿楽」です。翁は、老人の姿を借りて現れる神霊であり、天下泰平や五穀豊穣を祈る存在です。今日の能楽に残る「式三番」は、この翁猿楽の系譜にあり、能が本来、祝福と鎮魂を併せ持つ儀式であったことを如実に示しています。

鎌倉から南北朝時代にかけて、猿楽は「座」と呼ばれる専門集団によって各地に広がります。大和、近江、河内、丹波、摂津など、寺社の多い地域を中心に、猿楽は勧進の場で演じられ、人々の心を慰める役割を担いました。猿楽は娯楽であると同時に、死者と生者をつなぐ精神的な媒介でもあったのです。

中でも大和の四座は、猿楽の中心として発展しました。物真似や笑いを含む芸風を持ちながらも、翁猿楽に象徴される鎮魂性を失うことはありませんでした。この競演と研鑽の中で、猿楽は次第に物語性と音楽性を高め、「能」という劇形式へと成熟していきます。

大きな転機となったのが、足利義満と観阿弥の出会いです。今熊野の勧進猿楽で観阿弥の芸に触れた義満は、その芸の中に、単なる物真似を超えた精神性を見出しました。観阿弥は曲舞を取り入れ、猿楽にリズムと抒情性を与え、鎮魂の芸能としての質を高めていました。義満の庇護を受けたことで、猿楽は武家文化・公家文化へと橋を架けられます。

その完成者が世阿弥です。世阿弥は公家文化、とりわけ和歌や連歌の美意識を吸収し、「幽玄」という概念によって能を理論化しました。『風姿花伝』において説かれる「花」は、自然の理に根ざした美であり、死者の魂が静かに慰められる境地を意味します。ここで散楽の物真似芸は、完全に精神文化へと昇華しました。

こうして能は、死者の霊を演じ、謡と舞によって魂を鎮める芸能として完成します。舞台は、この世とあの世をつなぐ場であり、能は日本人の無常観と自然観を体現する鎮魂歌なのです。

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