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俊寛の演出と世阿弥
『俊寛』の演出と世阿弥
令和七年十二月研能会では『俊寛』を勤めさせていただきます。自身三回目の勤めとなります。今回は、作り物である舟を出さない演出で臨む予定です。
舟に付く艫綱を付けず、切り離しを足拍子のみで表現する手法は、万三郎師が好んで用いられました。
やがて康頼・成経が舟に乗り込み、沖へ遠ざかる場面では、ワキの赦免人と両名が一旦舟を降りて幕へ進み、間狂言が舟を引く——この視覚表現は難しく、むしろ舟を出さず、観客の皆様の想像力に委ねる方が効果的と考えます。
最後の場面では、どうかご一緒に「心使い」をお願いいたします。
『俊寛』は作者不明。晩年の世阿弥の佐渡配流を想起させます。作風から元雅、禅竹の可能性を指摘する研究者もいますが、元雅は世阿弥より先に没しているため、元雅作説は『隅田川』同様、予言めいた作品ということになります。
世阿弥の修羅能は、敗者の視点に立つ作品群です。敗者の理を説き、魂の救済を希求されました。
『鵺』では、源頼政に退治された敗者を亡者として登場させ、苦悩を懺悔させます。和泉式部の「暗きより暗き道にぞ入りにける 遥かに照らせ山の端の月」を引用し、海月となって消える——。
『俊寛』のシテの第一声は「後の世を待たで鬼界ヶ島守の 鳴海の果ての冥きより 冥き道にぞ入りにける」と謡います。『鵺』への敬意を感じます。
また『実盛』の「心の底の水清く」は世阿弥の独特な表現です。『俊寛』の上歌「菊水の底の白衣の 濡れて干す」にも、心の水の思想がさりげなく宿っています。
これによって演技が変わるわけではありませんが、作者と世阿弥に心を馳せ、舞台に臨みたいと思います。