加藤眞悟

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見えないものをあらわす能 第1回過去メルマガまとめ配信 No.1〜3 

こんにちは
メルマガ配信、おひさしぶりになりました。

ここで一度、過去メルマガの一挙配信をお届けします。
これまでのメルマガが全6回なので、2回に分け、まとめ配信No.1~3です。

能を初めてご覧になる方向けのご案内になっております。
ご参考にご覧ください。どうぞ!



2021.09.05. 習わぬ能を語る No.1

こんにちは 
メルマガご登録、ありがとうございます。

これから「能楽師 加藤眞悟」のメルマガを担当して参ります、加藤美紀です。
ふだんは県立高校の非常勤講師で、英語を教えています。

能楽師の妻となり二十数年、謡や仕舞のお稽古はしていません。
このたび、「門前の小僧習わぬ経を読む」・・・ならぬ、「門前の素人、習わぬ能を語る」ことになりました。

ある意味、勇気ある行動ですが、やってみようと思います。
なぜ、そんなふうに思えたのか、といいますと・・・

わたしが友人に能を紹介するとき、友人は、たいてい「初めて能を観る」人です。
そして、「えーどうしよう、わたし、わからないんじゃないかなあ」と心配顔で少し緊張しています。

わたしが誘ったから来てくれたので、ありがたいなと思います。そこでわたしも、なるべく安心して、いい時間を持ってもらえるように、舞台形式や、番組の見方などを簡単にお話しします。

「前場」と「後場」があること。間に「中入り」が入ること。「中入り」は、アイ狂言が前半をまとめて説明してくれること。シテが物語の主人公で、「前場」と「後場」を勤め、「中入り」の間に着替えて再登場する、などです。

番組に書かれている名前は、舞台登場順になっていること。お囃子の並び方は、ひな人形の五人囃子の順番。地謡は主人公の心境や状況を謡っている、などです。

それ以上は、なるべく「あとは、自分の感性で楽しんでね」といいます。芸術作品は、絵画でも音楽でも、出会いですから、観る人の世界で、自由です。

お囃子の音色に耳を傾けるだけでも、日常から離れて瞑想にふけることができます。昔の日本人は、こういうものを楽しんでいたと思うだけでも、現代の生活がいかに変化を遂げたものかがわかります。

お能は、テレビ、映画、演劇などの他の舞台のどれとも似ていません。情報を与えてくれるのを待っていると、なかなか入り込めないかもしれません。まずは、能楽堂の空間の中で出会う「自分の心」の赴くままに、感じる世界を楽しむのが一番だと思います。

この情報の時代、能を知りたいと思えば、山ほどの解説、あらすじや動画さえも手に入ります。情報があり過ぎて選べない・・・のかなと思います。

皆さまが、今度お能を観に行くことになったとして、「能って、どんなの?」と思ったとき、友だちに能楽師の妻がいて、「ねえ、わかりやすく教えて」と聞けたら、話が早いですよね。

修行やお稽古をしたことのないわたしですが、日常に謡の声が聞こえ、鼓の音が耳に入り、能の英語ガイド作成をお手伝いしています。能の世界の門前にいるだけで、何かがゆっくりと心の深いところで癒されてゆくのを感じています。

能楽師の妻として、これまで感じたことや、気づいたことをお伝えするだけでも、「ふうん、それはおもしろい」と、初めて能を観に行く心の準備ができると思います。

「こんな世界を作った日本人ってすごい」「こういうところが、日本人らしさなのかな」など、日本人が自信と誇りを思い出せる世界が広がっています。

変化の激しい現代を生きるわたしたちが、先人が残してくれた伝統文化の宝物を忘れないように、皆さまのお役に立てる情報をお届けしてゆきます。

まずは、目前の「令和3年9月19日第二十三回 明之会」に向けて、観に来て下さる方が、オンラインでお能を観て見ようという方が、安心して能の世界に浸ることができるように、「これを知っておいた方が楽しめる」ところから、公演日まで何回か配信してゆきます。

お楽しみに!




2021.09.12. 能舞台「あの世」と「この世」 No.2

こんにちは
メルマガ担当、加藤美紀です。

今日は、わたし自身がお能を観る前に聞いて、一番おもしろいと思った能の舞台設定のお話をします。

それは・・・三間四方の四角い能舞台は「この世」で、お幕の向こうが「あの世」という設定です。そして、「橋掛かり」という通路が「この世」と「あの世」をつなげています。

能の主人公は、ふだんの生活では目に見えない亡霊や神、草木の精、想像上の生き物などがほとんどです。死者が眼前に現われ、人生で一番印象に残ったこと、最期の戦いの様子、心残りを存分に語り、最後に仏縁を得て成仏するという大まかな物語の型があります。

これを知ったとき、「亡くなった人が主人公なんて芸能があるの!それやっていいの?というか、えー!すごい、観たい」と思いました。

人生は、出会いと別れです。出会いの方はうれしくていいですが、別れの方は、どうやって乗り切ることができるのか、究極そこが知りたかった!と思いましたし、そんな物語を作るなんて、これはもう計り知れない想像力、人生経験、視点ではなかろうかとひきつけられたのですね。

700年近い歴史がある芸能です。現代人よりずっと「目に見えないけれど存在するもの」の力を強く意識していたこの国の先人に、人生の納得のしかたを教えてもらえそうな気がしました。そんな気持ちは、今も続いています。

・・・来週の「令和3年9月19日第二十三回 明之会」までに、あと数回、「これを知っておいた方が楽しめる」能の世界をお届けしてゆきます。

次回は、能のお話について書きます。お楽しみに!





2021.09.13. 見えないものをあらわす能 No.3

こんにちは
メルマガ担当、加藤美紀です。

能の物語にはいろいろなお話がありますが、基本の型のようなものがあります。

たいていは旅僧がでてきて、まず場所の因縁を語ります。すると、そこへたとえば里女が現れ、僧と問答をし、さらに故事を語ります。どうしてそんなに詳しく知っているのかと尋ねると、自分がその主人公の化身であるとほのめかして消えてしまいます。

中入りの後、亡霊となった主人公が現れ、心情を吐露して舞を舞い、僧が念仏を唱えて鎮魂する、という型です。

前場では、主人公は里女の姿をしていますが、実際は「あの世」からきた霊ですから、若い女性の面(おもて)をつけています。能面をつけているのは、「あの世」からきました、ふつうは目には見えない存在です、または、今変身しています、というサインです。

僧は、現実を生きている人ですから能面をつけていません。これは、僧を演じるワキ方の先生にお聞きしたことですが、僧とは、仏陀や死者たちに語りかけ、祈る人で、ふだんから目に見えない相手と対話する職業です。そういう特別な人の目を通して、わたしたちは、ふだんは「目に見えない存在」に気づくことができるようになります。

ワキは英語で、Supporting performerといっていますが、これにはいつも、単なる脇役じゃないんだけど・・・という、ひと言で言い尽くせない感があります。「あの世」と「この世」をつなげる存在として舞台上に必要な媒介役、台詞がなくても退場しない、動かない、それはわたしたち観客が僧の目を通して舞台上に非日常の物語を見ているからです。

中入り後、里女を演じたシテは、本性の姿を現して再登場、一番言いたかったことを表現します。そこで、舞を舞います。ここが見どころです。

前回(No.2)と今回(No.3)で、「あの世」と「この世」の舞台設定、主人公は基本的に死者が多いこと、能面の意味、シテとワキについて、お話ししました。以上が典型的なお能のパターンですが、これにあてはまらない演目もたくさんあります。

来週の令和3年9月19日「第二十三回明之会」の「木賊」(とくさ)は、これにあてはまらない演目です。いよいよ、次回は「木賊」について、お話します。お楽しみに!




次回は、1週間後2022年8月24日頃、No.4~6をお届けする予定です。

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