ツナグということ

丘の上にそれはそれはおかわいらしいIさんというおばあちゃんがいました。

人生の先輩を『かわいらしい・おばあちゃん』と言うのは失礼かとも思いますが、とにかくかわいらしかったのです。

小さくて、目がクリっとして、無垢でありながらお茶目で、ついつい目が合うとこちらがほっこりなってしまうような方でした。

大きな病気はなく、老衰と認知症の診断。

認知症と言っても特に周囲が困るようなことはなかったのですが、時々私たちには見えないものが見えるようでした。

特にお盆のころになると兵隊さんが大勢家の中を通るから怖いといわれました。

ついに私たちは兵隊さんに会うことはなかったのですが、誰もIさんのことは否定せず寄り添って支援を終えました。認知症だから見えるのかどうかは問題ではなく、Iさんには見えるということだったのだと思います。

 

今日はお盆。そして、終戦記念日でもあります。

 

どんな形で命が終わるとしても、最後は家族や愛しい人を思い、次の時代が幸せであることを願うのではないでしょうか。私たちが生きる時代の幸せを願って亡くなった方々に対して感謝をしたいものです。

そして、見方を変えると私たちの命も、次の時代への架け橋のようなものかも知れません。

 

毎年、お盆が近づくとIさんのことを思い出して知らぬ間に微笑んでいます。

そして、次の時代の幸せを祈れる私でいたいということを思いだします。

 

ほっと一息つきたいときに紅茶をどうぞ。夏はアイスティーもお勧めです。

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