わかってもらおうとするよりわかってあげること

~わかってもらおうとするよりわかってあげること~

 

病院で亡くなったご利用者の家族が、ご挨拶に来てくださいました。

 

医療依存度が高く、入退院も多かった方です。

ケアマネジャーの出番というよりは医療職や福祉用具につなぐ機会が多かった方でした。

 

せっかくおいでいただいたので、お話を聞きたいと思いました。

グリーフケア(死別の悲しみを抱える遺族をサポートすること)の場合、どんななぐさめの言葉よりとにかく聞くこと(傾聴)と言われています。

 

しばらく聞くうちに、最後の入院前に『一晩中苦しかったのだが夜が明けるのを待って救急車を呼んだ』というお話になりました。

 

あー、しまった。

 

とその瞬間に『足りなかった』ことを恥じました。

本当に命がかかっているくらいに苦しい時に夜が明けるのを待たせてしまった。

大ピンチの時に私の顔を思い出していただけなかったのです。

連絡を受けたとして私にできることは、最善の機関につなぐことだけです。

ですが、『とんでもない我慢をさせてしまった』ことを後悔しました。

 

「我慢させたんですね。申し訳ありませんでした。」と率直に信頼関係を築くことができなかったことをお詫びしました。

もちろん、私に謝らせることが目的の訪問ではなかったと思いますが、そう言われたことで、娘さんの心の底にあるもやっとしたものに気づかれたのか、ぽろっと涙を流されました。

 

その後、しばらく思い出話などされて、「まだ、母がいますから、母の時もよろしく」と言って帰られました。

 

一言でも私が言い訳をしたら、娘さんが心を開いてその後のお話のあれこれ、浄化はなかったのではないかと思います。

 

どうしても、私のこと・立場・正しさ・言い分・提案などを“わかってほしい”と思いがちです。

ちょっとだけそこを呑み込んで、先に相手をわかろうとする事で、関係性は良くなるのだと改めて思いました。

 

~わかってもらおうとするより、わかってあげること~

ついつい忘れがちになるこの気持ち。初心に帰ってその都度、思い出したいものです。

プライドの納め先 一覧 台風の爪後