ジャカランダの物語

ジャカランダの物語

 

前号で伝えたかったジャカランダの物語続編です。

 

昭和33年長崎県諌早市では、本明川の氾濫で大きな水害がありました。

当時の諌早市副市長 末次吉間氏は、水害を受けた市の復興再生に大きく貢献されました。

その様子を見ていたエチオピアの大統領から見込まれて、ぜひエチオピアに来てほしいと懇願され、エチオピアの財政復興に尽力されています。

その時に授かった世界3大花木のひとつジャカランダの種を持ち帰りました。

 

その種を知古でもあった、長崎県雲仙市の旅館の経営者、後に小浜町長となる草野壬二

郎氏に託します。「島原半島をジャカランダいっぱいの町にしてくれないか。」

 

そして、現在、志を受け継いだ『R51』(会の名前)の有志のメンバーで、毎年植樹を続け、

小浜町はジャカランダが国道51号線に沿って並ぶ街になりました。

最初に思った人の夢が伝わって、次の誰かの夢になって引き継がれています。

 

種は、可能性の種でもあるように思います。

その種を咲かせようと思って奮闘する。

種は、いつ芽を出すのでしょうか。

一週間後でしょうか、2年後でしょうか。

あるいは、風に乗って、全く植えた場所ではないところで花が咲くかもしれません。

 

私は、晩年の草野仁二郎氏にお会いできる幸運を得ました。

一言で言えばスケールの大きな、それでいてとても愛嬌のあるおちゃめな方でした。

ジャカランダの花を見るたびに草野氏を思い出します。

そして、私なりにそのエッセンスを受け取り影響を受けています。

 

先人がまいた種が、私という全く違うところで芽を出しています。

 

思いのバトンは可能性のリレーション。

残念ながら今年は寒の影響でやや花が少ないですが、それでも紫の群花は圧巻です


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