成長することに遠慮しない

成長することに遠慮しない


遠慮とは

1、他人に対して、言葉や言動を控えること

2、江戸時代、士分・そうに行った刑罰。門を閉ざし、昼間の出入りを差し控えさせた。

3、遠い将来までを考えること。深慮遠謀。

とあります。


概ね1の、他人に対して言葉や言動を控えることとして用いることが多いのではないでしょうか?

今日この遠慮というワードに引っかかったのは、『成長』について書きたいなと思っていたら

『遠慮』というワードとセットになって浮かんだからです。


『成長を遠慮する』

なんと傲慢な言葉でしょうか。

でも、そう考えると思い当たる節があるのです。

子供の時、友達が言った些細な一言が胸に刺さり、その後ずっと

『できれば目立たないように』『周囲と強調して』といった考え方や振る舞いを子供ながらに『防御反応として』身に着けてきたように思います。


これは、私に限ったことではないでしょう。

こどもとは率直で、ある意味残酷な時があります。

でも、みんなそうやって大きくなると思います。


そうして、もうほぼほぼ出来上がったと思えるこの年まできて、やっとやっとその呪縛から解き放たれようとしています。


『成長することに遠慮しない』

そこまで、成長してきたのだなあと思います。

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