忘れられない人々VOL11 リュックを背負ったAさん

忘れられない人々VOL11

リュックを背負ったAさん

 

Aさんはどこに行くのもリュックを背負っていました。

でも、颯爽と歩く姿からは想像もつかない事情を抱えていました。

 

Aさんはとても深刻な病気で余命宣告をされていました。

そして、リュックの中身はとても大事な薬が入った輸液のパック。

そして、鼻にはチューブが入っていて、薬を直接胃に入れるという治療の継続が必要でした。

 

40年近く勤めた会社を60歳で定年退職。

奥さんと二人悠々自適の生活を送ろうとしていた時に奥さんが不慮の事故で他界。

悲しみが癒されないうちにご自身に深刻な病気が発覚。

 

私が出会ったのは「余命がいくらもないのであればベッドでその日を迎えたくない。できれば、身の回りのことができる間は自宅で思ったように暮らしたい。」

と、入院していたホスピスからの退院連携でした。

Aさん62歳、私は駆け出しから中堅のケアマネジャーになろうとしていた時期でした。

 

その後、Aさんは訪問看護を利用しながら淡々と一人で自宅で暮らしました。

自分で車を運転し輸液パックを受け取って、病気の管理もほとんど自分でされました。

 

ある日、「岩永さん、本当はね、めちゃくちゃ怖いんだ。」

といって、体をガクガクと震わせながらワーワー泣きました。

私は、かける言葉もなく、ただ寄り添う事しかできませんでした。

暫くすると「ごめんね、でも、これで少し楽になった。」

「頑張って働いたから退職金もたくさんもらったし、老後のために蓄えもしてきた。

でも、それを自分で使うことはできないんですよ。」と胸の内を明かしてくれました。

 

Aさんが心を取り乱したのはこの1回だけでした。

その後、すこしずつ病気は進行し、最後の最後薄らぐ意識の中で

「岩永さん、もうだめばい。助けて。」と電話がありました。

訪問看護ステーションではなく、ケアマネジャーである私の方の携帯でした。

 

その時、一瞬迷って、訪問看護を手配、救急車で病院に運ぶという段取りをしました。

当時の上司が後で、「Aさんは、看護師じゃなくて、岩永さんに頼ってきたのに、どうして行ってあげなかったの?」

と言われて、『そうだな、どうして駆けつけられなかったんだろう・・』

と、悔やみました。

 

変に職域を意識して、ここは訪問看護の出番と決めつけていたような気がします。

勿論ケアマネジャーが駆けつけなくてはいけないルールはありません。

ただ、一人の命と向き合ったときに、ルール以前の受け止めようがあったんではないか。

今なら、躊躇なく駆けつけるだろうと思います。賛否両論あるでしょうが、特別扱いが必要な時もあると思います。

経験と自信のなさが私を止めたと思います。

とても、とても大事なことを教えてくれたクライアントでした。

こうやって私たちは一人前になっていくのです。

 

 


一覧 飽きないということ