収穫高か蒔いた種か

収穫高か蒔いた種か


友人で書道家の小川光喜さんの座右の銘は


毎日をその日の収穫高で判断せずにまいた種で判断しなさい

(ロバート・ルイス・スティーブンソン)


うーん、思い当たることだらけで恥ずかしい。

ついついその日の収穫高を考えがちになります。

これだけ頑張ったから、それなりの見返りがあって当然てきな・・・

私の場合は特に、人のために何かをした時に、見返りを求めがちになります。


そういう事ではないんですよね。

何かをしたからと言って良いように受け止められないこともあります。

むしろ有難迷惑であったりすることもあり、ちょっとがっかりしたりもするのが現状ですが。


そういうことではないんですよね。

見返りという種類のものではない。

そして、その日、その月のこれだけ売り上げたということよりも

更に大切なことは

どんな種を蒔けたか。


それはいつか私だけの見返りをはるかに超えて、誰かの、みんなのためになるかもしれない。

そんな種を無心で蒔けるか。

それがどんな実り方をするのか。もしかすると私はその実りを見られないかもしれない。


これまでの自分の歩みを振り返っても、蒔いた種のようにしかなっていないんですよね。

良いも悪いも。


もうちょっと大きな心で生きたいなと思いました。

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