目で見えないものと 見えるもの
結紋が完成して、私はこれからこのアートを通して、何を伝えていきたいのだろう、と考える日々は今も尚続いています。
最初に思ったことは、今年々認知度が下がりつつある「家紋文化」をこれからも伝承していけるような私で在りたいと思いました。
時代の流れや、技術の進歩によって、新しく生まれていくものや衰退していくものがあることは、当たり前の現象だと思っています。
その中で、「家紋」をこれからも守りたいと思った理由は、家紋を通してこれまで繋がってきた命のつながりや、命が絶えずに今日まで生きている奇跡をとても感じたからです。
今後、家紋を使わせて頂くことで、“命の繋がり”というテーマについて、新たな角度から伝えるきっかけが起こせるのではないかと、結紋が完成して強く感じています。
様々な角度に対して経験が浅いことは十分承知の上です。
ただシンプルに、家紋が「すきだ。」という気持ちだからこそ前向きに捉えられている私がいます。
会いたい方がいたら、直接会いに伺いたいです。
触れたい心があったら、直接身体を動かしていきたいと思っています。
それよりも、心がこんなにも熱くなるものと出逢えたことが、何より私は幸せなのです。
今は沢山学び、経験し、表現しているそんな毎日です。
なぜ、こんなにも家紋に惹かれるのかの答えは、いつかいつか分かったいいな。と思います。
命とは、本当に尊いものです。
日々過ごしていると、自分の命も含めて、人の命までも、明日も当たり前のように続いていくような感覚になります。
だからこそ私たちは、今一度当たり前の日常の中にある、生と死の中にある沢山の奇跡や幸せにもう一度向き合うことが、必要とされているのではないのでしょうか。
平和とは
よく耳にする「平和」という言葉。
「世界平和」という言葉。
「平和ってなんだろう?」と、物心ついた時から考えていました。
この地球上には多くの国や地域があり、言語・文化・芸術・習慣・しきたり・行事などさまざまなものがあります。
私は、全てのことを知っている訳ではありませんが、全てのものに対して、一つ一つがその土地だからこそ生まれた素晴らしい宝物だと思っています。
そう思えたのは、地元である静岡から沖縄へ移住したことが大きなきっかけです。
沖縄の草花を見たとき、「なんて色がはっきりしていて鮮やかなんだ!」と、最初見たときは本当に驚きました。
「素晴らしい!」とも思いました。
その後、沖縄の伝統模様である“紅型”を見たときは、この色合い、華やかさは、本土では生まれないものだな、と思いました。
沖縄のこの地だからこそ生まれた色彩であり文化だと。
もちろん逆の場合もあります。
冬の時期本州へ戻り、銀白の雪景色を見たとき、まさにモノトーンの世界が創り出す芸術に感激しました。
この景色をみたら、筆の黒と余白の白色だけで、この景色を描いてみたいと思うかも知れない、と思いました。
こうして水墨画が生まれたのかな?とも。
今の私が感じている「平和とは」それぞれにある素晴らしいものを、お互いが認め合い、受け入れていくことではないのかな、と思っています。
LOVE&RESPECTな世界です。
日本には日本の良さ、アメリカにはアメリカの良さ、中国には中国の良さがあります。
2つの文化を1つにまとめてしまうよりも、どちらの方が良い!と優劣をつけるよりも、お互いのものをそのまま残し、
「日本には、このような文化があるんです。アメリカには、どのようなものがありますか?」
と違いがある時、そこに争いのない平和があるのではないかと思うのです。
違いがあるから、繋がれる世界。
違いがあるから、尊重し合える世界。
どちらかが上でも下でもなく、どちらも素晴らしくて対等。
力で抑えつけるのではなく、お互いを認め合い、リスペクトする。
この精神性が、私が思っている平和です。
これは、国と国の話のように大きな規模のことだけでなく、親子・夫婦・職場・友達・自分と・・全てのところで同じだな、と感じています。
違うところがあるって、素晴らしいです。違うところがあるから、皆で助け合えるということが出来ます。
人と人が、触れ合えるきっかけを頂けます。
人が、自然と繋がることができます。
人が、動物を愛せることができます。
一人で全部出来てしまって、一人で全部分かっていたら、地球には一人だけでいい。
出来ないことがある、不得意なことがあるって、素敵なことです。
パステルアートと出会って、欠けている私のところに丸を心から付けれるようになりました。
パステルアートとの出会いに本当に感謝しています。
私は、いつの時もみんなで笑って生きていける。そんな世界をいつもイメージしながら、これからも人生を歩んで生きたいです。
感謝
これまで33年間人生を歩んできた中で、色々と未来を想像して「こうなるのかな?」「こうなったらいいな。」
と、今まで沢山考えたりしてきました。ですが、思った通りにはなっていません。笑
私が沖縄へ来させてもらうようになったことも、沖縄で生活を送るようになったことも、パステルで絵を描くようになったことも、全く想像していなかったことでした。
保育士一本の道しか思ってなかったからです。過去を辿ってもそのようなことばかり。
自分で決めているようで、そうなるようになっていたかというように、いつも良い風に人生を歩ませてもらっていた感覚が強くあります。
絵を描き始めて、幼い時家紋が好きだったことをふと思い出し、駅のホームで紅型のチラシが突然目に入り、ふとこの技法参考にしよう!と閃きがあった。
正直私がやっているという感覚よりも、どこかの誰かがいつも教えてくれているような感覚の方が強くなる一方なのです。
だから、私がやっていることは凄いだ、なんていう感覚は全くなくて、この身体で表現させてもらえることに、本当に感謝と嬉しさがいっぱいです。
結紋が生まれた瞬間、
「結紋の表現をし続けて道がある限りやめれないし、やらずには死ねない。」
と、人生で初めてそう思いました。
結紋を通して表現し、生死について向き合い、命を表現していく私の人生が始まりました。
これからも目の前のことを大切に一歩一歩歩んでいきたいと思っています。
絵がきや晴加の今後を是非、見守って頂けたら幸いです。
皆さんの笑顔にいつも支えて頂いています。いつも有難うございます。
笑顔を大切にこれからも頑張ります。
2023,4,7 絵がきや晴加