パステルアート『絵がきや晴加-haruka』

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​絵がきや晴加STORY〜人生はいつもサビ〜
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パステルアートアーティスト/結紋-yuimon作家「絵がきや晴加」
※作品名[人生は、いつもサビ] by絵がきや晴加
​この作品を描いた2018年は地元静岡から沖縄へ移住・開業・結婚・離婚・新規事業スタート・引っ越しなど、何とも賑やかな数年を過ごし、ほっと一息つき、ここ数年を振り返っていた時に浮かんだ言葉(作品タイトル)と、景色を作品として描いたものです。

過去を振り返った時に、どの時も私にとっては、クライマックスのようなシーンばかりが思い出されました。
​「これまでの日々って音楽で例えると、全部サビみたい。AメロもBメロもないなぁ。いつもサビだな人生って。」
​そう思ったのです。両親が、学生時代のバンド内結婚ということもあり、​物心ついた時から音楽が身近にある環境で育ちました。私にとって音楽と日常は、とても近い存在にいたからこそ、この発想が出てきたのかもしれません。

これまで多くの方に支えて頂き今2022年2月で32歳を迎えました。昨年2021年冬には、掛け替えない大好きな祖父母を2ヶ月の間に続けて見送る経験をし、
・命の繋がりとは
・生きるとは
​・ワタシとは
という湧き上がってくる想いをこれまでの日々と共に、​等身大の言葉でこれまでの人生を。イマを。綴り残したいと思いました。
愛するおじいちゃん、おばあちゃんの命に敬意を込めて。
いつもワタシの一番の理解者である家族や友人に感謝を込めて。絵がきや晴加を支えてくださる皆さんへ、心を込めて綴ります。 
絵がきや晴加 2022年11月吉日
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【目次】
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・誕生「そうだ、笑顔を見にいきたいと思ったんだ。」
・番外編「我が家は家族団欒が日課。個性豊かな家族」︎
・幼少期「感性爆発。ディズニーアニメ大好き」
・小学生「妖怪なんで?の誕生。(低学年編)」
~あいうえおの「い」と、わいうえをの「い」は違う気がする。という疑問で頭がいっぱいの国語の授業編~​
︎・中学生「これぞ青春!まるでドラマのような結末が」
︎・高校生「先生、甲子園に行きたいです。笑」
︎・大学生「晴加は、4年間で対応力1000を身に付けた」
︎・社会人「夢が叶った先にあったもの」
︎・保育士「共に育つ共育(きょういく)を目指して」
︎・沖縄移住「人生のターニングポイント」
︎・結婚そして離婚へ「人生にとって、欠かすことの出来ない2つの出会い」
・絵がきや晴加の誕生「旅立つ日を1日目として数えていく」​
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誕生「そうだ、笑顔を見に行きたいと思ったんだ。」
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パステルアート画家・結紋-yuimon作家「絵がきや晴加」
↑満遍な笑みで笑っているのは、2歳の私です。(笑)
出かけるときには必ず一番手触りの気持ち良いお気に入りのガーゼを持ち、セーラームーンに変身する為のミラーケースを首からかけ、この年頃ならではのファッション!!白タイツを履いて♪笑 
​大好きなお爺ちゃん・お婆ちゃんと、静岡県にある法多山へ電車に乗り出かけている時の写真です。
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​番外編「我が家は家族団欒が日課。個性豊かな家族」
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パステルアートアーティスト・結紋作家「絵がきや晴加-haruka」
私は、父・母・弟・妹・祖父・祖母・曾祖母のいる森家の第一子として、生まれました。私の故郷である静岡県牧之原市は、お茶の産地でもあります。毎年、新茶の時期になると辺り一面が青々とした緑で埋め尽くされる景色は、毎年見ては言葉を失うほど美しくて本当に見事です。一度はぜひ、見て頂きたい、私の大好きな地元の景色です。
また家業は、祖父が立ち上げたお茶に関する仕事を行なっていまして、祖父が立ち上げたお茶工場を現在は父が継ぎ、今は弟も一緒に働いています。​親子3代に渡り事業が継承されていることに喜びと、関わってくださる皆様へただただ感謝です。父・祖父の職業の影響もあり、私にとってお茶はとても身近なものとして育ちました。幼い頃の記憶の一つに父が帰って来たときには、毎日お茶の香りがし、父=お茶の香りというイメージが今でもあります。
私は、緑茶が大好きで真夏は冷茶。寒い冬には、あたたかいお茶。お酒を飲むときは、緑茶割をして飲むのが好きです。笑(静岡割りとも言います)
他にも、実家で一緒に住んでいた祖母は、生前は一年中着物を普段着とし、旅立つその時まで背筋がピン!と伸び、生涯で一番美しい姿で見送ることが出来ました。
​祖母の旅たちは、本当に見事でかっこよかったです。着物や和柄が好きになった私の原点は、大好きなおばあちゃんの影響かもしれません。​また、我が家ではテレビよりも家族で会話をして、夕御飯を楽しむことが日課の森家です。
​最後に、体内記憶というものが人によっては残っていると聞きますが、私の場合は高校生の時、母とほんの些細なことで喧嘩をしてしまった時、母の悲しそうな顔を見た瞬間、記憶が頭の中で突然逆再生され生まれる前にまで戻りました。
​「その時・・・あ、お母さんの笑顔を見に行きたい♪そう思ってここへ来たんだ。」
​​と、突然思い出された時の心の温度は、今でもはっきり覚えています。​​​​​​​​​​​
我が家は皆共通して、音楽や演劇、舞踊などのエンターテイメントが大好きです。
​また、家族で話をする時のスローガンは『せっかくやるなら。どうせやるなら楽しく♪全力で♪」です。笑どうせやるなら楽しく。記憶に残るように。 爪痕を残す。なんて♪(笑)
​テレビよりも、それぞれの日常の話をするのがとても多い家です。ここで簡単​​に家族の紹介をさせてください。(みんないいよね?!きっと笑★)

​父・・・なんと言ってもベース好き!!な父です。大人になることは、楽しいことなんだ!とずっと姿で教えてくれる父です。今も母と共に、バンド活動を行っています。もうすぐ還暦を迎えるのですが「還暦の時には赤いベースを買いたい♪」と、イメージしているようです。義理と人情をこよなく大切にする父。「人を騙すくらいなら、騙させる方が良い。」「人は宝。」「おかげさま。」それが父の口癖です。幼い時から、予想不可能なことを言ったり、行動する私にいつも「天才!」と肯定し続けてくれたことは、本当に感謝しかありません。父はとても明るく、時には仮装をしたり、色々ある中でも自身の喜びも同時に大切にしている印象をいつも受けます。自身の大学入試の面接の時には、当時お気に入りだった=自分の中でも最高なオシャレということで、真っ赤なデニムを履いて、行った時のエピソードを聞いた時には「さすがですわ!」と、一緒に大笑いをした記憶があります。結果無事、大学には合格したとのこと。武道館のステージに立つという夢があるので、何とか叶えてあげたいな、と思っています。笑 とくかく健康第一でこれからも、我が家をお願いしますね〜♪

​母・・・母には、100%敵わないな、といつも思います。よくぞ!静岡の田舎へお嫁に来てくれたという感謝が絶えません。(笑)母は、私の地元に初めてきた時田んぼで凛と立つ白鷺を見て「日本昔ばなしの世界にきたと思った!」と感じたそうです。父と学生時代同じバンドでボーカルとして活動していたこともあり、今でもジャズを歌っています。「会いたい!」と思った方には、心のまま行動し想像以上のミラクルを、案外さらりをやってのける面もあります。考え方は、私の1000歩くらいいつも先をいっているので、私が高校生の時に伝えてくれた言葉が25歳を過ぎて意味が分かったりすることが何度もあります。会話をとにかく沢山したい、と思う存在です。母から教えてもらった言葉で今も大切にしている言葉が。「晴加が今生きている今日は、誰かが生きたかった今日でもあるんだよ。」という言葉です。この言葉は、ずっと大切にしたいと思います。私が離婚を決意した時も「大丈夫。生きていれば何でもできる。健康が一番♪」と笑ってくれた母にはいつも背中を押してもらいます。1日でも長く生きていてほしい、と我欲を全面的に出して切に願います。

・・・破天荒な私をいつも隣で落ち着いて、穏やかに見守ってくれています。「あ〜また、始まった。(笑)」と弟の方がしっかりしています。私と弟は誰がみても外見が母親似なので、小学生の時の参観会ではお母さんが教室に入って来るとすぐさま「お母さん来たよ。」と皆が教えてくれました。(新学期で、みんなお母さんの顔を知らないまずなのに ・・笑)←こんな話を弟とよくしていた記憶があります。弟は、昔から学力があり、それにたいして私は一つのことに没頭してしまうので、一時期弟とテストの点数を比べたことがあったのですが、「私にしかできないところで、表現すればいいんだ♪」と閃高く、弟と比べて自信をなくすことが多々ありました。けれど比べることをしたからこそ、ワタシらしさ♪とは??ということを真剣に考えた時でもありました。考え抜いた結果、この時から学期末のテストでは先生宛に「◯学期もありがとうございました。」とテスト用紙の裏いっぱいに手紙を書くようにしまいした。私は、このスタイルで行こう♪と心に誓った小学生の時でした。弟と私は、似ているところと・違うところがはっきり分かれているので、弟の存在で”私らしさ”を数多く気づかせてもらったと思っています。

​妹・・・妹とは、9つ離れているのでケンカはなくこれまで過ごしてきました。妹が生まれたのをきっかけに私は、保育士の道を意識し始めたので、私の人生の大きなきっかけとなってくれた存在でもあります。言葉を使わなくても、繋がれる世界を教えてくれた存在です。いつも明るく”みんなで仲良く”を大切にしているので、人との距離感や言葉の伝え方、頭の回転の早さが見ていて気持ちが良いですし、面白くて学び多き妹です。一緒に会話をしていると空気感が似ているので、一緒にいて楽で楽しいです。洋服の好みや似ていて、今ではサイズも同じなので、実家で過ごす時は妹の私物で全身を包んでいます。(笑)妹を見ると逞しさと強さがいいな。とよく思います。かっこいい妹です。自分の人生のようにこれからがとても楽しみです。

​おじいちゃん、おばあちゃんのことは追って書きますね♪
​家族のことを書いていて思ったのですが、今の私は時に家族があってこそだなって本当に思います。​

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幼少期「感性爆発。ディズニーアニメ大好き」
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パステルアートアーティスト・結紋-yuimon作家「絵がきや晴加」
私は、幼いころとにかくディスニーアニメをよく観ていました。その中でも特に好きなディズニーアニメは、「メリーポピンズ」です。
​メリーポピンズを見たことのない方は、↓ぜひこちらの動画をご覧ください♪(2分32秒)

メリーポピンズ[Supercalifragilisticexpialidocious (From "Mary Poppins"/Soundtrack Version)]

この映像を見た時、心底ワクワクした気持ちを今でも覚えています。
​ストーリーの中では、指を一振りすれば部屋が一気に片付いたり、傘で空を飛んだり、今までの当たり前の日常が全く別の世界として移りました。
​今見ても映像と出演者の掛け合いは最高に心が躍ります。また、時代背景や文化の違いには心が惹かれます。

​メリーポピンズを語り出したらきりがありませんが、↓この映像(2分21秒)を見た時にもまるで雷が落ちた衝撃がありました。
​なせなら、一人でいつくもの楽器を同時に演奏していたからです。5歳からピアノを習っていたので、楽器は一人に対して一人というのが当たり前だと思っていたのに・・・!!

メリーポピンズ

ディズニーの世界はいつも私の世界の当たり前を大きく広げて、のびのび生きる楽しさを教えてくれる想像力の教科書です♪
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​小学生「妖怪なんで?の誕生」(低学年編)
〜あいうえおの「い」と、わいうえをの「い」は違う気がする。
​という疑問で頭がいっぱいの国語の授業編〜​
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パステルアートアーティスト・結紋-yuimon作家「絵がきや晴加」
今振り返ると、小学校一年生の授業の時から自身の世界観に入ることが多く、何かあればすぐに「なんで?なんで?」と元祖妖怪なんでが誕生したのはこの頃だと自覚しています。笑
​今でもよく覚えているのは、小学一年生の時に国語の授業でひらがなを学ぶ時のことです。
​「あいうえお。かきくけこ。さしすせそ。・・・わいうえお・・・ん。」
先生に続き皆でひらがなの一覧を読み合わせをしていました。​その時、言葉にならない違和感があったのです。

​「ん?あいうえおの[い]と、わいうえおの[い]がなんか違う気がする・・。あいうえお。わいうえお。」
​声に出して言えば言うほど違う気がしてならなかったのです。なにかが違う、というモヤモヤを抱えながら、空を見てその時間はずっと心の中で唱えていました。
​授業を行う度に疑問が湧いてくるので、そのことを考えていると、よく終わりのチャイムがなっていた、という記憶があります。このひらがなの[い]でのモヤモヤが解消されるのは、私が26歳の時でした。日本の歴史について学ばれている方のお話を聞いている時、ふとこのことを思い出し、突き動かされるように質問しました。すると!ひらがなの始まりと言われている[カタカムナ]の文字の存在を教えていただき、カタカムナでは表記も意味も違う二つの"い"の存在があったのです。
​「わ!!!まさかここに来て答え合わせが来るとは!!!」
​と、人生って面白い!
​私は、この出来事を気に大人になっても私の中にいる[妖怪なんで?]と共存していこうときめました♪笑笑
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中学生「これぞ青春!まるでドラマのような結末が」
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パステルアート『絵がきや晴加-haruka』 結紋-yuimon/ライフクリエイター
中学生生活で印象的なのは、やはり部活動をした日々です。私は、女子バスケットボール部に入部しました。それまでは、習字・ピアノ・水泳と個人で行うをやっていた私にとって、集団競技は初めての試みでした。
バスケ部に入部した理由は、弟が先に小学生のバスケットボールクラブに入部していたのでバスケを知っていたことと、バスケは室内だから日焼けもしないし(笑)、身体動かすのはまぁ好きだし~、という正直軽い気持ちで入部しました。
入部した1年生の頃のチームは、地区大会で一勝もしたことのないチームでした。その中でも、同級生や先輩、後輩がとっても明るく楽しい人ばかりで、辛い練習も続けることができました。
私も含めてですが、経験者がほとんどいない初心者チームからのスタート。まずは地区大会1勝を目標に、顧問の大石先生とチームメイトと共に、毎日倒れるほどの練習をしました。

日々を積み重ねて迎えた、3年生夏最後の試合。私は選抜選手ではなかったのですが、地区大会決勝戦。優勝が決まる大事な試合の最終クウォーター残り3分。相手とは1点差で追い掛けている状態で、まさかの選手交代により出場。

「ここで!?? まさか!!!!」と思いました。正直ここから出なくない・・と思いました。

コートに立つと動きの何もかもが早くて、正直ついていくのに必死になって戦う中、見方からパスかきて、前を見ると、たまたま私の前があいていたので、思いきって打った3Pシュート。

​「(お願い入って。入って。)」

手から離れた時、スローモーションのようになり、周りの音が消えました。



「入った・・・・」




逆転!!!!!

そこから流れが一気に変わり、念願の勝利。次の決勝戦も勝ち、中学校創立以来の地区大会優勝でした。
泣いて喜びました。こんなことあるんだ・・・って思った出来ごとでした。
​チームのメンバーの中で「ここだけは負けない。」と思うことを作ろう!と思いました。そうしないと、自分の存在が濁ってきそうで怖かったからです。自信が欲しかったからです。
​それからというもの角度のない0度から打つ3Pシュートの練習を、ずっとしました。ボードの印頼りではなく、感覚で身体に入れようと思ったからです。そうすれば、どの角度からも入るようになる、と。0度からのシュートは跳ね返るものがないので、シュートのコツを掴めない時は、シュートをするたび走ってボールを拾いに行きました。打って、走って、打って、走って。
​でもこの時間が私にとっては、皆のように上手くはないところが沢山あるけど、絶対取得するんだ!と決めたことでした。
​だからこそ、3Pを打てる時が来たら「必ず決めよう」と、自分と約束をして毎日コツコツ練習していた日々は、やっぱり無駄じゃなかったって、思ったそんな中学生時代の印象深い思い出です。
​今も、自分とだけする約束があると頑張れます。自分のことは、いつも1番応援者で在りたいと思っています。
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​高校生「先生、私甲子園に行きたいんです。!」
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​※随時、更新していきますね。
パステルアート『絵がきや晴加-haruka』 結紋-yuimon/ライフクリエイター
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