mail magazine backnumber
メールマガジン バックナンバー
(後編)岡崎さんが残してくれたもの
前編では、通夜と告別式の様子をお伝えしました。
後編では、岡崎さんという人がどれほど大きな存在だったか──
その志と教えについて、皆さまと共有させていただきます。
これは私の重曹の先輩で、同志でもある方から聞いた話です。
岡崎さんには「どんつき思考」という独自の学びの方法がありました。
1. ある事象を知るためには、最低4冊は本を読む
2. そうすると、その世界の輪郭が見えてくる
3. そしてトップランナーが誰かが分かる
4. 考え続けると、突き詰めた言葉が生まれる
5. 「要はこういうこと」 とこれにあたるようなものだと思う。
誰にも真似できない、圧倒的に地道な積み重ねと果てしない時間。
その姿勢こそが、あの膨大な知識と新しい発見を生んでいたのです。
高エネルギー重曹を生み出したのも、神様が与えてくれたとしか言いようがないと。
そして科学者だったら絶対に作れなかった」とも語っています。
人智を超える何かが働いた──そう感じずにはいられない。
岡崎さんはいつも話していました。
全国を渡り歩き、月のほとんどが出張で、しかも連続移動。
高齢者なのに、自らチケットや予約を取り、辻説法のように各地でセミナーを続けられました。
セミナーの後には食事やお酒を共にすることも拒まず、研究中の概要をさりげなく嬉しそうに教えてくれる──
あの時間が、どれほど貴重だったかは計り知れません。
忠之さんいわく、
「父がやっていたことのすべては把握しきれていない」。
それほどまでに岡崎さんは一人で多くの仕事を背負っていたのです。
お通夜でも告別式でも香典は受け取りを強く辞退されました。
「皆さんがいたから力をいただけて、自分のエネルギーとなったのだから、死後といえども絶対に香典などを受け取ってはいけない」
という岡崎さんの強い言葉があったと言うのです。
最後に棺に皆で花を納めるとき、あちこちで涙がこぼれていました。
大人の男性たちがここまで泣いている葬儀を私は初めて見ました。
式の最後、忠之さんはこう語りました。
「父は、信仰と仕事と家族、その3つを何より大切にしていました」
「家族を深く愛してくれていました」
飾らない言葉でしたが、その一言に岡崎さんの人生が詰まっていました。
式場に貼られた写真には、
若い頃の姿、奥様とのデートや結婚式、お子さんたちとの旅行、
お孫さんを抱いて嬉しそうに笑う顔──
“飛び回る研究者” でありながら“家族を愛するお父さん、おじいちゃん”
その姿があふれていました。
式が終わり、霊柩車が静かに動き出すと、
皆が深く頭を下げ、岡崎さんをお見送りしました。
帰りの新幹線の窓からきれいに見えた 富士山は、まるで空に向かって高く聳える太い一本道のようにも見え、
岡崎さんの歩いてきた人生そのもののように思えました。
岡崎さん──
私は気安く呼んでいましたが、
本当はそれがとてつもなく失礼なことであるくらい私が生きていく上での価値観の多くのは、あなたからいただいたものです。
あなたが旅立った先には、神様が微笑みながら両手を広げて迎えておられるに違いありません。
あなたが生涯を捧げて創り続けた「志」と「HEJ重曹」と「会員の皆様」は、忠之さんと私達が力を合わせて守ります。 そして、やがて世界中の多くの人々を救っていくことになると思います。
岡崎さん
ありがとうございました。
本当にお疲れ様でした。
あなたに出会えたことを、私の一生の誇りといたします。
本当にありがとうございました。