燃える闘魂

アントニオ猪木さんが、101日にお亡くなりになられました。


長年のプロレスファンである私は、この日が来るのを覚悟していたとはいえ、訃報を聞いてから様々な思いが頭を巡っています。


(よわい)50歳の私と、アントニオ猪木さんが設立した新日本プロレスは同い年です。

私の子ども時代は、プロレス中継がゴールデンタイムに放送されていました。


だから、当時の男の子たちの遊びは、プロレスごっこで、僕はいつも猪木の真似をしていました。

卍固めにコブラツイスト、リバースインディアンデスロックでのお客さんの煽り、怒りの表情、指の先まで全てかっこよく、間違いなく、猪木は僕にとってのスーパースターでした。


思春期になり、周りのプロレス熱が冷めていき、プロレス放送が深夜になっても、僕は変わらずプロレスを観ていました。


猪木が政界に進出し、

イラクで人質を解放し、

北朝鮮でプロレスをした時も、

リアルタイムで週刊プロレスを読みあさっていました。


アントンハイセル、

バイオ燃料、

水プラズマ、

世の中の問題を解決すべく、様々な事業に挑戦し、失敗する姿も見てきました。


2000年代に入り、プロレスが暗黒期を迎え、K-1PRIDE等の格闘技が台頭する中、猪木は「元気ですか!」「123、ダー!」の人として、世間に認知されました。


「猪木の常識は、世間の非常識」

という言葉があるのですが、そのスケールの大きさに、いつのまにか常識人なった僕はついていけない時期もありました。


でも、私の人生の勝負の時には、猪木のテーマ曲「炎のファイター」が脳内再生され、心の中にはいつも「燃える闘魂」がありました。


そして、ここ数年は、難病と闘う姿を曝け出し、生き様を見せてくれました。

やっぱり、猪木は、最後までアントニオ猪木でした。


猪木の引退試合を東京ドームで観戦し、

ご本人から闘魂ビンタしてもらったことは、

プロレスファンの中でも大いなる自慢です。

同時代に生きていたこと、誇りに思っています。



さて、プロレスファンの間では、「猪木イズム」という言葉がありますが、その猪木イズムは、我々プロレスファンの中にもしっかりとあります。


かつて猪木さんは、プロレスが「八百長」「インチキ」「ショー」だという世間に対し、敢然と闘っていました。


 「誰だってどんな仕事だって自分が命賭けてやっているものをバカにされたら黙っていないだろ。だから俺は、プロレスはそうじゃないって言い続けたんだよ」


 「俺の中で裏切ることができないのは猪木ファンなんです。どんなことがあってもファンは俺をいつも信じてくれた。そのファンの思いだけは裏切ることはできないんです」


と。


追悼記事の中で、この言葉を読み、あらためて自分の中にも猪木イズムがあることを感じました。


客商売をする身でありながら、媚びることはせず、匿名の書き込みに噛みついたり、ポイ捨てする人をはっきり批判する一方で、メルマガ会員さんはえこひいきするのは、私の中の猪木イズムが発動していたのでした。


全て、猪木さんのせいでした。



今、悲しみの為にしばらく臨時休業としたいところですが、そんなことをしたら、猪木イズムに反します!


「元気があれば、何でもできる」


元気な私たちは、自分たちの「道」を迷わず行きます! 


猪木さん、今までありがとうございました。


猪木さんのご冥福をお祈りします。


悠悠




追記


先ほど、猪木さんから闘魂ビンタをしてもらったことを書きました。

2000年の大晦日、大阪ドームで行われた格闘技イベントで、先着108人に除夜の鐘の如く、リング上で闘魂ビンタをしてもらえるという企画。

私はその情報を聞きつけ、早々に並びその権利を得たのです。


実はその時、妻も一緒に闘魂ビンタを受けています。

ちなみに、彼女は全くプロレスファンではありませんし、猪木さんに何も思い入れがありませんでした。


その時の感想は、

「何で知らん男の人に、何もしてないのに叩かれなアカンの

でした。

とはいえ、今となっては良き思い出です。

(たぶん)


夫婦共々、闘魂注入されています!


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