19世紀中頃、医師であったA.T.スティル博士は当時流行していた髄膜炎により自身の子供を3人亡くしています。
同じ病気に罹り、手厚い医療を受けたにもかかわらず亡くなってしまう方がいるなかで、医療どころか看護すら受ける事もままならなかった方が回復していく事実に疑問を抱き、人の身体に関する独自の研究を始めていきます。
そこで関節の痛みなどの異状を訴える患者を丹念に調べてみると、必ずどこかに正常な働きをしていない関節があることに気付きました。
その後、研究を重ね関節を正常な位置に戻す方法を考案し患者に施すと、痛みにだけでなく内臓疾患や伝染性疾患にまで驚く程効果があり、その当時の記録(カルテ)により証明されています。
そこで関節の痛みなどの異状を訴える患者を丹念に調べてみると、必ずどこかに正常な働きをしていない関節があることに気付きました。
その後、研究を重ね関節を正常な位置に戻す方法を考案し患者に施すと、痛みにだけでなく内臓疾患や伝染性疾患にまで驚く程効果があり、その当時の記録(カルテ)により証明されています。
そして約10年の研究の結果、1874年にオステオパシーを発表します。
しかし、当時の医学界からは強い抵抗に合い、受け入れられる事はありませんでした。それでもスティル博士は自分の信念を貫き通し、全米をこのオステオパシーにより治療して周り、最終的にミズーリ州のカークスビルという小さな田舎町に辿り着きました。
しかし、当時の医学界からは強い抵抗に合い、受け入れられる事はありませんでした。それでもスティル博士は自分の信念を貫き通し、全米をこのオステオパシーにより治療して周り、最終的にミズーリ州のカークスビルという小さな田舎町に辿り着きました。
すると、全米中からそこへスティル先生の治療を求めて人々が集まったのです。そして、そこには駅ができホテルがや食堂などができるまでになりました。ついには1892年に世界で最初のオステオパシーの医科大学(American School of Osteopathy)を設立し、現在もなお『A.T.Still University』として存在しています。
現在アメリカにおいてオステオパシーは医学として公認されており、医大を出て医師国家試験を合格したのち医師としてオステオパシー手技治療も含め投薬や手術などのすべての医療行為が許されています。
アメリカ以外にもヨーロッパ諸国やロシア、カナダ、オーストラリアなどで教育や研究が盛んに行われ、先進国の多くは国家資格として認められています。