芝まゆ。のシニアライフ相談窓口



ミニ仏壇は
​ポータブルな「愛偲手箱」
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愛偲手箱
少子化・核家族化が進む現代は、先祖のご供養にお悩みの方が数多くいらっしゃいます。「お墓が遠くて出向けない」「仏壇を置くスペースがない」「子や孫に仏壇を継がせるのが難しい」……。そんな悩みに答えるために誕生したのが、こちらの「愛偲手箱」。ご自宅に遺骨の一部を置いて手元供養ができる、持ち運び自在のコンパクトな仏壇です。
宗教は、自由です。ご本尊は、マグネット式になっておりますので外せます。ご自分の大切なご本尊や、十字架など、ご自由にお使いください。
ご遺骨の一部を小さなカプセルに分骨してこの中に収め、ご自宅に置くことで、いつでも大切な方との絆を感じることができます。本体は上質な革を使ったスタイリッシュなバインダー型。中に家族4人までのご遺骨を収めることができ、普段は本棚などに小さく収納。必要なときにサッと広げるだけで、故人を偲ぶ祈りの場を設えることができます。小さく場所を取らないので、ご本人が亡くなられた後は親族に託すことも可能。「人生のしまい方」が多様化する現代にふさわしい、新たなご供養の形を提案するお品です。
閉じればすぐにコンパクトなバインダー型になる、持ち運びにも便利なポータブル仏壇です。

【博多織とは】​​​​

鎌倉時代の1235年、博多織の始祖である33歳の満田弥三右衛門は、聖一国師と共に南宋(中国)明州へ向け、博多の津を出発。宋に6年間滞在し、「織物」「朱焼」「箔焼」「素麺」「じゃこう丸(丸薬)」の5つの製法を修得し、1241年に博多の津に帰ります。弥三右衛門はこれらの製法を博多の人々に伝えましたが、織物の技法だけは家伝とし、「広東織」と称して独自の技術を加えながら伝えていきました。
 さらにその250年後、弥三右衛門の子孫・彦三郎が再び明へ渡り、織物の技法を研究。帰国後は竹若伊右衛門と共に改良を重ね、琥珀織のように生地が厚く、浮線紋や柳条などの模様の浮き出た織物を作り出しました。そしてその織物が作られたこの土地・博多の地名をとって、「覇家台織」(はかたおり)と名付けられたと伝えられています。
博多織
●魔除けの歴史を持つ博多織に子孫繁栄の願いを込めて
江戸時代には筑前藩から幕府への献上品だった博多織。その帯地の文様は、仏具である独鈷(どっこ)と華皿(はなざら)を図案化したもので、献上柄と呼ばれていました。独鈷華皿には魔除けや厄除けの願いが込められていたことが、博多帯が「悪縁を切る」「魔除けになる」と今も言い伝えられるゆえんです。
本品の博多織は、伝統工芸士を有する工房で「愛偲手箱」専用に織り上げられました。亀甲柄は長寿のシンボルである神獣の「玄武」から意匠され、六角形の連続模様であることから伝統的に「子孫繁栄」を願って使用されてきた柄。ご愛用者とご家族の、末永く続く幸せへの願いを込めた一品となっております。

【四神相応(しじんそうおう)とは】

風水における、理想的な気脈を持つ地相のこと。左(東)に流水(青竜)、右(西)に大道(白虎)、前(南)にくぼ地(朱雀)、後ろ(北)に丘陵(玄武)のあるものをいい、平安京はそれにかなう地といわれました。地形の代わりとして、四神に対応した色や像を配置することでも効果があるとされています。
四神相応
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