ふわり縁代表
いなぐま あやの
稲熊 礼乃 愛知県名古屋市在住介護ライフパートナー
ふわり縁
誰もが最期まで輝いて愛されて幸せだったと思える人生を送ろう
高校卒業後、お給料ももらえて住むところもあり手に職がつく!というフレーズを見て、とにかく早く自立したい!という思いだけで親に一切の相談もせず和裁士になることを決意し、大阪に行く。すぐに後悔したものの意地だけで厳しい4年間の修業を耐え、プロの和裁士となる。第33回全国和裁技術コンクールでは、文部大臣賞を受賞。名古屋に戻り、着物の仕立て、着付講師として独立。
介護保険制度が始まった頃、同居していた姑の介護がいずれあるかも・・という思いから、なんとなくヘルパーの研修を受講。それがきっかけとなり、和裁を一生の仕事にしていくつもりだったはずが、ヘルパーの仕事にどっぷりと浸かることとなる。
ヘルパーステーションの管理者をしていた頃、元利用者家族であった同世代の女性が余命告知を受け、延命は望まないという彼女から身の回りのお世話を懇願される。高齢者が対象であった職場では仕事として受けることが叶わず、友人として関わることを決意し、最期の時は緩和ケア病棟の病室で、一人彼女の人生の最期を見届ける。
彼女は誰とも面会もせず、身内でもない、親しい友人でもなかった自分になぜ最期を託したのか?長年、高齢者介護の仕事をし、看取りの経験も何度かあったにも関わらず、自分と同じ年の彼女の死を前にして、自分の無力さを強く思い知らされることとなり、命との向き合い方がわからなくなった。
私はこのまま介護の仕事を続けられるだろうか・・
そんな時、看取り士の柴田久美子(日本看取り士会会長)の存在を知り、看取り学を学び、看取り士となる。
私はこのまま介護の仕事を続けられるだろうか・・
そんな時、看取り士の柴田久美子(日本看取り士会会長)の存在を知り、看取り学を学び、看取り士となる。
彼女と同じような人を孤独にしないために自分に何ができるのか?
もし、また彼女のような人に出逢ったときには迷わずサポートができるような自分でありたい。そんな思いだけで「ふわり縁」を立ち上げ、現在に至る。