富益神社

富益神社縁起

むかしむかしのお話です。
元禄15年(1702年)と申しますと、かの有名な赤穂浪士の吉良邸討ち入り(忠臣蔵)が起こった年。
その同じ年に、弓浜半島の「北浜」というところからこの地に移り住んだ17人の氏祖たちが、新地を開拓し、松の古木を「荒神(こうじん)」と称してお祀りしたのが当社の始まりです。

150年ほどの時が過ぎ、安政5年(1858年)6月…これは、幕末に日本を太平の眠りから覚ましたペリー来航の5年後ですが…富益村に住む松井清兵衛という人が発起して、伊勢神宮の御分霊を勧請し、もとの荒神宮の境内に小祠を建立してお祀りすると、万延元年(1860年)3月に社殿を建立し、両神相殿に合祀して、「富益大神宮」と称するようになりました。
その後、明治初年に杉谷荒神宮、祇園神社、牛頭天王社の三社を合祀して、富益神社と改称しました。

境港市小篠津町・日御碕神社の摂社として、明治11年11月に諸社殿を竣工したものの、県道外浜線が境内の中央を通ることとなり、明治19年10月に、現在の社地に奉遷しました。

創建以来、富益町の氏神様として、地域の人々に親しまれている神社です。


◇ご祭神

天照大御神
素戔嗚神


◇年間祭礼行事

1月 元旦祭(1日)
3月 元祖祭(2日)
4月 祈年祭(11日)
7月 夏祭り・夏越祓(10日)
11月 例大祭・紐直し(七五三)祈願(3日)
12月 除夜祭(31日)


◇神道祖霊舎
神社神道によって行われる葬儀を「神葬祭」といいます。
境内地の北西には、当地区の神葬祭のご家庭の「神道祖霊舎」があり、ご自宅の御霊舎と同じように、祖霊舎にも先祖代々の御霊が祀られ、敬神崇祖の祈りが捧げられています。
私たちに命を繋いでくださった累代のご先祖様をお祀りしている厳粛な場所です。関係者以外の立ち入りはご遠慮ください。

◇神道祖霊舎年間祭礼行事
3月 春の祖霊祭(春分の日)、家廟巡拝(春の彼岸)
8月 お盆の家廟巡拝
9月 秋の祖霊祭(秋分の日)、家廟巡拝(秋の彼岸)


境内の左手に鎮座する「恵比須社」。 えびす様は七福神の一柱で、日本古来の福の神、漁業の神、商売繁盛の神、五穀豊穣の神として広く愛される神様です。

拝殿の右手に鎮座する「やぐるま稲荷」さん。 お稲荷さんのお使いの狐さんが大山に修行に来られた際、富益神社の境内に逗留されたご縁でお祀りされたと伝わっています。商売繁盛、家内安全の神様です。

拝殿右手奥に鎮座する「三宝荒神」さん。 悪人を罰し、善人を助ける神様です。また台所の守り神、鎮火の神様として崇敬を集めています。

富益村の礎を築いた42柱の開拓元祖をお祀りしています。 毎年3月2日は、富益神社と、同じく富益町の富楽寺で「元祖祭」が行われ、祖先の偉業を今に語り継いでいます。

元祖塔の隣には富益町の戦没者慰霊碑があります。 ご参拝の際には、祖国の平和を守るため散華された英霊にもお参りください。

江戸時代の石見国大森銀山の代官・井戸平左衛門正明の徳をたたえる石碑です。飢饉のときに役所の米蔵を開き、薩摩国からさつま芋の種芋を取り寄せ普及させるなど善政を行ったことから「芋代官」と親しまれています。