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【in-transition】整いの弁証法⑨ 農耕というアンチテーゼ
LITRAメールマガジン
【in-transition】読者の皆さま、
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
合同会社LITRA代表の加藤亮介です。
今日のテーマは「農耕というアンチテーゼ」。
農耕というテクノロジーと出会うことで、
日本列島に暮らす人々の意識に
変容が起こった様子を
最新の研究結果と
弁証法のロジックを使って
想像してみたいと思います。
13,000年間に渡って
自然の恵みを分かち合い、
平和的な狩猟採集生活を営む
縄文の人々が暮らしてきた日本列島。
やがて九州北部に
農耕と金属技術を携えた人々が
北東アジアから渡来します。
弥生時代の遺跡から発掘された遺骨の
DNA分析の結果によると
DNAの6割が縄文人由来、
残り4割が北東アジア人由来であることが
分かっています。
つまり在来の縄文人(テーゼ)と、
新たに渡来した北東アジア人(アンチテーゼ)
の間で混血が起こり、
「弥生人」(ジンテーゼ)という集団が
形成されました。
しかし、
渡来した人々というアンチテーゼによって
日本列島で暮らす人間集団に起きたのは
混血というジンテーゼだけには
留まりませんでした。
渡来した人々がもたらした
「農耕」という新たなテクノロジーもまた
アンチテーゼとして、
日本列島で暮らす人たちの
弁証法的な変容をもたらしたのです。
ぼくはLITRAを始める前は、
新規就農を目標にして、
野菜づくりをしていた経験があります。
現代では「農」のイメージは、
穏やかさといった平和的な印象が
あるように思います。
ぼくもそんなふうに思っていました。
都会の無機質な競争社会から、
自然とともにある暮らしを営むんだ!
と考えていたわけです。
農耕は、人間が自然に手を加えることで、
自分たちが必要なものを得るという営みです。
人が手を加えることで、
農場には新たな生態系が生まれ、
豊かさを生み出すことができます。
ぼくはそんな人の営みを「野良」と捉え、
野良をたすける人・農園という意味で、
「野良介」という屋号で野菜作りをしていました。
しかし、狩猟採集との比較として
農耕を考えてみると、
ちょっと異なるイメージが
浮かび上がってきます。
それが「管理」という考え方です。
狩猟採集という生活様式では、
ただそこにあるものを頂くという発想です。
しかし、農耕という生活様式では、
「自然に手を加えて、管理する」という
これまでになかった発想を
生み出したと考えられます。
管理には、管理する側とされる側という
支配と被支配の関係が必ず生まれます。
さらに、農耕によって
「時間」という概念が生まれたと
ぼくは考えています。
「未来」に得られると「予想」される
収穫物を得るために、
「今」なにをするのか?
「目的」「目標」「計画」といった
概念も連鎖的に生まれたことでしょう。
ぼくは農業を始める前は
プラントやITシステムを構築する
プロジェクトマネジメントを
仕事にしていたのですが、
農業をやりながら思っていたのは、
プロジェクトマネジメントと農業は同じだ
ということでした。
「目標」を達成するために、
「計画」を立てて、
「実行」する。
目標の達成に障害となる「リスク」を
どのように「予測」し、手を打つか。
でも今思うと、
プロジェクトマネジメントの原型は
農耕にあったのです。
なにが言いたいのかというと、
新しいテクノロジーである
「農耕」というアンチテーゼは、
人の意識を変える力を
持っていたということです。
概念は抽象的であるが故に、
農耕以外のものにも適用されていきます。
農耕は、
人による自然に対する支配関係であり、
やがて人による人に対する支配という
狩猟採集時代にはなかった社会の構造を
生み出しました。
さらには「時間」という概念は、
自分たちの収穫物や農地を
奪われるかもしれないという
「リスク」を「予測」し、
それに備える力、
すなわち「武力」をもたらします。
縄文時代にはなかった「武器」が生み出され、
弥生時代には戦争が出現しました。
武器や堀といった防衛施設、
武器によって傷つけられた人骨が
弥生時代の遺跡から見つかっています。
農耕は人口の増大をもたらしました。
たくさんの人たちを養える食糧を
手にすることができたからです。
農耕によって生み出された概念は、
社会を組織化する力も持っていました。
一方で、格差や戦争も生み出しました。
また、人間の時間感覚についても、
未来からの逆算としての今を規定することで、
「今」「ここ」に生きる意識が
失われていったのではないかと
ぼくは想像しています。
近年、マインドフルネスなどの
「今」「ここ」を生きる意識が
見直されてきているのはなぜなのでしょうか?
弁証法はものごとは螺旋的に発展する
という法則性を教えてくれます。
「今」「ここ」を生きる意識や
縄文文化の評価といった
ぐるっと回った回帰的な現象は、
「農耕的な成長という時代の終焉」を
意味しているのではないかと
ぼくは捉えています。
そうだとしたら、
わたしたちが無意識に使っている
農耕的な発想や概念を
弁証法的にアップデートすることが
必要になってくるのではないか。
それはどのような概念となるのか、
ぼくの仮説を次回お伝えしたいと思います。
今日もここまでお読み頂き、
ありがとうございました!
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