もうがまんしなくていいんだよ。

もう、がまんしなくていいんだよ、
今朝起きた時に、
自分にかけてあげた言葉。

日々の日常のなか、
もやっとする瞬間や
ん?これは昔感じた何かだぞって感じることがある。

元旦那がふらっと家にくることが続いた時、
ここ、嫌だなと思ったこと何個かあった。
それは、今までの自分が何も言わず
がまんしてきたことだった。
全部受け入れてきたことだったから、
我慢していることすら気づかなくなってたんだなと思った。
今は、「私はそれは嫌だよ」が伝えられるようになった。

友達とのやりとり思い出して
あぁ、結局は、
嫉妬して、うまくできない自分が悔しくて
認めてもらいたかったり、
本当は私も一緒にやりたいが
素直に言えなかっただけだったんだな。
とか。

昨日も
バンドメンバーとLINEしてて、
すごく気持ちがざわざわした。
ぽつんってひとり感や、
やっぱりだめだ感が出てきた。
でも、結局は
さみしかったんだ
が言えなかっただけだった。


色んな場面で、昔の私が
がまんして表現できなかったことが
感じられるようになってきた。

本当は自分の中に出てきたことは
さみしいとか、
悲しいとか、
助けてほしいとか、
もう無理だとか、
疲れたとか、
不安だとか、
すごく単純なこと。

それを出さずに
がまんする
ことが習慣になってたから。

自分はどんどん拗ねていった。

きっと言っても変わらないだろうしな。
どーせ言っても無駄だろうな。

迷惑かけちゃうかもしれないしな。

きっと、めんどくさいだろうな。

向こうには私が分からない色々あるし、
それを分かり合いたいと思っても、
自分がもやもやしてる状態で話したら
余計こじらすかもしれないし。

そもそも相手は私のこと、
そんなに大事に思ってないかもしれないし。

大事に思われてないってわかったら
それは嫌だし。怖いし。
でもきっと、そんな気もするし。

不安がっててもどうにもならない、
できることやるだけだ、

家族のために今はふんばるときだ、

とかってね。

自分自身がどんどん、
「自分の素直な気持ちを出しても無駄だ」って
「どうせわかってもらえない」
って諦めて
拗ねていった。

そこに、他の人や世間を参考にした
自分が創り上げてきた自分像まで出来上がって。

その「好ましい自分像」にもっていこうとしたり。


その反動で、

「もうひとりでやるからいいよ」

「とにかく自分、がんばるよ。もっとできるようになるしかないよね」

「やさしさとか応援とかいらない。自分が自分を支えるんだ。
 自分でひとりでやってやるもん!」

「きっとこれは、依存なんだろう。頼ってばかりじゃいけないよ。」

って自分を奮い立たせて。

助けてほしい、
さみしいよ、
こわいよ、
聴いてほしい、
寄り添ってほしい、
一緒にいてほしい、
一緒にやりたい、
疲れた、
つらかった、
もうできないよ、
苦しいよ、

とかっていう本音が何重にも何重にも隠れちゃって

いつの間にか
誰にも頼らずに
ひとりでがんばって努力して
がまんばっかりして。

なかなか変らない現実は
自分のせいだって責め続けてきてた。

自分が変わりさえすればって
我慢して我慢して、耐えて。

傷ついて、その手当もしないまま、放置して。


そんな私だったから、

自分の本音に気づいてあげるって
自分のそのまんまを表現させてあげるって、
自分を出してあげるって

すごく喜びに感じるの。

せめて自分だけは、

自分の気持ちにしっかり気づいてあげたいよ。
しっかり聞いてあげたいよ。

自分の感じたそのまんまを
しっかり出させてあげたい。

そのまんまの自分を表現していいんだよ。
もう、がまんしなくていいんだよ。
自由にだしていこうね😊





強みと弱みが合わさって魅力になる✨さとこの居酒屋での気づき 一覧 自分が大事にしたいことを大事にする