2023.08.19
こどもの日のお話し、つづき。
長野県下伊那郡の贈答品や記念品のことならハリカです。
今日のお話しは、5月5日の「こどもの日」つづきのお話し。
なんと、その昔の「こどもの日」はお田植えをする若い女性の日だった!?。。。という内容で締めくくったのが前回。
じつは「こどもの日」の由来は、日本の「五月忌み」と、中国の菖蒲の風習が合わさり、5月5日には菖蒲で心身を清めた若い女性たちが家の中にこもって神様に五穀豊穣を願う、女性が主役の「端午の節句」が誕生したことに始まります。
その後、奈良時代から鎌倉時代へと移り行く中で「こどもの日」の主役が女性から男性へと移っていきます。
武家社会が全盛になると、端午の節句に欠かせない「菖蒲」と、武を重んじる意味の「尚武」や「勝負」をかけて武士のお家で盛んにお祝いをするようになったのです。
今では定番の兜や幟(のぼり)とともに「こどもの日」が男の子のための行事になっていったのはこの頃です。
江戸時代になると、女の子は3月3日、男の子は5月5日にお祝いをする習慣が定着しました。
武家の幟に対抗して、一般の町人さんたちの間では鯉のぼりを上げる習慣が広まり、そのうち武家以外の裕福なお家でも「こどもの日」に合わせて鎧兜や人形を飾るようになったのです。
今現在、「こどもの日」の定義は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」として規定されています。
生活を支えるお田植えの主役であった女性の日から、お家繁栄を願って男の子の無病息災を願う日に。
そして今、こどもみんなの幸せと、そのこどもをこの世に産んでくれたお母さんに感謝する日に。
時代は移り変わっても「こどもの日」に込められたその想いはしっかり受け継いでゆきたいものです。