重陽の節句 来年へ向けて、自我を超えて自己と向き合う時


今日は9月9日、「重陽(ちょうよう)の節句」です。

9という数字が二つ重なる9月9日。

古くから奇数は「陽」の数とされ、その中でも最も大きな一桁の陽数である「9」が重なることから、

「重陽」と呼ばれるようになりました。


重陽の節句は「菊の節句」とも呼ばれ、菊の花を愛でたり、日本酒に菊の花びらを浮かべた「菊酒」をいただいたりして、

無病息災や長寿を願う風習があります。

私はこの季節を、一年の終わりへ向かって「一度、自分自身を括り直す時期」として捉えています。



秋は、次の一年へ向けて自分を整える季節

9月23日頃には秋分を迎えます。

昼と夜の長さがほぼ等しくなり、秋のお彼岸を迎える節目です。

そして10月に入ると、神社では秋の祭事が続きます。

伊勢神宮では神嘗祭が行われ、旧暦10月には出雲地方で「神在月」を迎えます。

全国から神々が集まり、人々のご縁などについて話し合うという伝承もあります。

こうした日本古来の行事を見ていると、昔の人たちは季節の節目ごとに立ち止まり、

自分たちの暮らしや命、自然とのつながりを見つめ直していたのではないかと思います。


「まつり」の前に、自分自身を整える

神社では、節目ごとにさまざまな祭りが行われます。

そこで大切にされてきたものの一つが「禊(みそぎ)」です。


禊とは本来、身を清めること。

私はこれを現代の私たちの生き方に置き換えると、

余計なものを手放し、自我を静め、本来の自分と向き合うこと

とも考えられるのではないかと思っています。


自分自身を整えることで、はじめて他者とよりよく結びつくことができる。

「自分」から「他者」へ。

そして「社会」へ。

そんなプロセスが、日本の祭りや祈りの文化の中には込められているように感じます。


神社は「願いを叶えてもらう場所」だけではない

神社には「合格祈願」「必勝祈願」「商売繁盛」などと書かれていることもあり、

つい「お願い事をする場所」と考えてしまいます。


もちろん、願いを持つこと自体が悪いわけではありません。

ただ、その願いの奥に、

「私は何のために、それを実現したいのか?」

という問いを持つことが大切なのではないでしょうか。


「自分が欲しい」
「自分が成功したい」
「自分が認められたい」

という「我」だけではなく、

「それを実現することで、私は誰のために何ができるのだろう?」

と考えてみる。


自我を少し小さくして、本来の自己と向き合う。


神社の静かな環境や、手を合わせ、頭を下げるという所作には、

自分自身を見つめ直す時間をつくる意味もあるのではないかと私は思います。


手と手を合わせる。

頭を下げる。

静かに自分の内側へ意識を向ける。

そして、

「この限りある命を、何のために使うのか?」

と自分自身に問いかけるのです。


限りある命の中で「仕事」をどう選ぶのか

命の時間には限りがあります。

かつて私自身が、

「限りある人生の中で、私は何をして生きたいのだろう?」

と真剣に考えたとき、一つのことに気づきました。

それは、

人生の中で「仕事」に使っている時間は、とても大きい

ということです。


だからこそ、

「どんな仕事をするのか」
「何を手段として生きていくのか」

という選択は、とても重要です。


そこで参考になるのが、スティーブン・R・コヴィー博士の『7つの習慣』です。

自分がどこへ向かいたいのかを考え、ゴールから逆算する。

そして、目の前の「緊急なこと」に追われるだけではなく、

「緊急ではないけれど、人生にとって重要なこと」

に時間を使う。


自分の使命や志と向き合い、それを行動に変えていく。


そして、自分一人ですべてを成し遂げようとするのではなく、他者と協力しながら未来をつくっていく。

その過程では、何度も自分の「我」と向き合い、不要になったものを手放していくことになります。


イライラやモヤモヤは、自分を知る入口になる

私が行っているチャイルドメンタルアロマセラピスト講座でも、日常生活の中に出てくる

「イライラする」
「モヤモヤする」
「なぜか不安になる」

といった感情を、自分の内側と向き合うための入口として扱っています。


私たちの行動の奥には、さまざまな不安や恐れが隠れていることがあります。

「お金を失ったらどうしよう」

「一人になってしまったらどうしよう」

「失敗したらどうしよう」

「人から嫌われたらどうしよう」


こうした恐れがあることに気づかないままでは、知らず知らずのうちに自分の選択肢を狭めてしまうことがあります。

まずは、

「私は何を怖がっているんだろう?」

と気づくこと。

そこから次の一歩が始まります。


新しい未来は、誰かの最初の一歩から始まる

何か新しいことを始める。

まだ誰もやっていないことに挑戦する。

これには勇気が必要です。


けれど、未来のためには、誰かが最初に一歩を踏み出さなければならないこともあります。


歴史を振り返っても、社会の大きな転換期には、

それまでの常識を疑い、新しい生き方や仕組みをつくろうとした人たちがいました。


時代や生活様式が変わっても、

「何のために、それをするのか?」

という本質的な問いは変わらないのではないでしょうか。


自分だけの利益ではなく、

「誰かのために」
「次の世代のために」
「よりよい未来のために」

という利他の視点から選び、行動する。


そのためにも、ときどき立ち止まり、自分の中にある余計な「我」を手放す時間が必要なのだと思います。


9月、自分自身に問いかけてみる

2026年、午年も残り4か月を切りました。

9月9日の重陽の節句。

そして秋分を迎え、季節は大きく移り変わっていきます。

この節目に、一度立ち止まって自分自身に問いかけてみませんか。


私は何のために生きているのだろう?

限りある命の時間を、何に使いたいのだろう?

自分だからこそ、誰かのためにできることは何だろう?

そして、

何を手放せば、もっと本来の自分に戻れるのだろう?

自然のサイクルの中で自分自身を整え、次の一年へ向けて少しずつ準備を始める。

そんな9月にしたいと思います。

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