【オンラインで奇跡の復活!塾倒産シリーズ2】地獄への開業
【オンラインで奇跡の復活!塾倒産シリーズ3】塾長がされて嫌な質問
【オンラインで奇跡の復活!塾倒産シリーズ4】倒産の予兆
【オンラインで奇跡の復活!塾倒産シリーズ5】先生の顔が怖い
【オンラインで奇跡の復活!塾倒産シリーズ6】ある重大な決意
【オンラインで奇跡の復活!塾倒産シリーズ7】アルバイトが終わった
私は当時
「師」
呼ぶ先生が指定する場所に行って見ることにしました。仕事も休んで、電車代を使って奈良から大阪へ。
そして、近くに行くとピルの研修会場には、ネットワークビジネスで有名な
「××××ライフ」
という名前の案内が書かれていたのです。
「えっ?」
と思って外に出ました。そして、また地図を見直してビルの名前を見ると同じです。
「きっと間違いだ」
と思って辺りをウロウロしました。ですが、地図を見てみるとやはりこのビルです。
「えー。お金がないのに仕事を休んで・・・これか」
と沸々と怒りがわいてきました。実はその会社は当時は
「以前勤めていた会社の人からも勧められた会社」
で私が断った経緯があります。
しかし、今更帰っても仕方がないので、会場に1000円支払って入ることに。
そこでは大きな音楽がかけられていました。そして、雰囲気も何か宗教じみた。そして、いよいよスタートしたのですが、
「自分のダイエット自慢」
「自分の収入自慢」
が延々と続くのです。正直うんざりしました。そして、
「すごくムカムカした怒り」
がありました。そして、帰宅後サイトの主に電話です。
「どうして会社の内容を先に言ってくれなかったんですか?」
「・・・・」
「あの会社だったら行きませんでしたよ」
「・・やり方が違うから・・」
「やり方が違うって・・」
「ぼくのやり方は今までとは違うから」
そうやってやり取りをしたものの結局、そこで話は終わってしまったのでした。
私は彼の方法に期待しただけに途方に暮れてしまいました。
「どうやって・・・・」
そして、半年間は悶々とした日々を過ごしたのでした。集客できない苦しみに悶だえながら・・・
ある日、塾で1人で生徒を待っていました。16時になっても生徒は来ません。いつものことです。
そのとき「ふっ」と何を思ったのか、以前に怒って電話した彼に電話しようという思いにかられたのです。
今でもなぜかはわかりませんでしたが、あのとき電話をしなかったら今の私はありませんでした。
そして、電話はしたところ・・
「もしもし、堀ですが」
「堀さん?大阪の?」
「いえ、奈良のです」
「えっー、おー。元気にされていました?」
「あっ、はい」
「そう」
「ところで調子はどうですか?」
「調子ですか?すごいいいですよ。売上も上がっています。入った人も売上を上げていますよ」
「そ、そうなんですか」
「ところで、堀さんは塾でしたっけ?」
「はい」
「調子はどうですか?」
「はぁ、まあ・・」
「そうですか」
「ところで、そのビジネスに参加するには必要はいくらなんですか?」
と。彼の元で仕事をすることになったのです。
もちろん、家内に相談したところ大反対です。それまでネットワークビジネスでは失敗していて、しかもお金もないのに・・。当然と言えば当然です。
そして、家内とは
「お金は月5000円しか使わないから。それに集客方法を学ぶだけだから」
ということで何とかスタートすることにしました。そして、最低限のスターターキットを購入してスタートすることになったのです。
そこではインターネットでのいろいろなノウハウがありました。当時は
「秘密の集客法」
としていましたが、今でも使っている方法です。そして、私の師匠の会員サイトでは以下のようになっていました。
月5万円コース
やることは・・・月10万円コース
やることは・・・・月30万円コース
やることは・・・
と。まずは「月5万円コース」の内容からスタートです。最初にやるのは
「インターネットの掲示板への書き込み」
です。ダイエット関係の掲示板に書き込んでいくのです。ダイエットの掲示板を探してひたすら書き込む。それを繰り返すのです。
ですが、当時の私は太ったままです。まだやせていないので、やせた実績は書けません。
ウソは書けませんからもどうするのか悩みました。そして、私が考えたのが
「自分のダイエットの経過」
を書くことでした。当時は体重77kgだったので
「ダイエットします。今は77kgです」
と書いて、ドンドン書きこんでいったのです。ダイエット食品を食べているので当然やせてきます。
毎日食べて、掲示板に書き込んでいったのです。1日200~300です。毎日毎日
「今日の体重は76kg」
「今日は体重が減りました。75.5kg」
と。塾が終わってから、書き始めるので終わるのが、早い時間で2時。遅いと朝4時までかかって書いていました。
ですが、朝は7時からアルバイトに起きないといけません。とにかく
「これしかない」
と思って続けました。ところが・・・
「1か月が過ぎました」
反応は0です。問い合わせすらないのです。体重はドンドン減ってきましたが、収入にはつながりません。お金は出ていきます。
さらに私に対して叩く人も出てきました。
「あちこちにダイエット経過を書いている変な人」
と。そして、辛抱して2か月。全然反応がありません。そして、3か月。ずっと朝まで仕事をしているので我慢の限界でした。
疲れ切って疲労困憊の私は彼に怒りに任せて電話をしたのでした。
「話が違うじゃないか!」
と。今では穴に入りたいほどですが、当時は仕事にも
「成長曲線」
というのを知らなかったのです。
勉強でもそうですが、
「勉強をする」→「すぐに結果が出る」
のではなく
「勉強する」→「しばらくたってから結果が出る」
というように結果は後からついていきます。しかし、仕事では
「やる」→「すぐに結果が出る」
と思っていたのです。これは今でもそうですが、
「ブログを書く」「ポスティングをする」
とやってもすぐに結果が出ないことが多いのです。だから、継続するということが仕事の上でも大切なのです。
ですが、それを続けないと意味がないのですが、当時はそれを知らなったのです。
だから
「こんなにやっているのに結果が出ない。だまされた」
と思ってしまったのです。そして、相手とはケンカです。
「話が違うじゃないですか」
「・・・」
「全然稼げないじゃないですか。だましたんですか?」
「本気で稼ぎたいんですか?」
「そうです」
「じゃ、口コミでも何でもやってください」
「・・・」
「それくらいのやらないとすぐにはお金にならないですよ」
「インターネットでできるからやったんですよ。口コミならやりません」
「ですが、すぐに結果が出るとは言っていませんよ。すぐに結果が欲しいなら口コミでやってください。その方が早いです」
と。
「口コミでやれるくらいならやらないって・・」
と。そして、結局はそのまま続けることになったのです。そして、ついに秘密の方法で集客をすることがスタートしたのです。
今では当たり前ですが、当時は最も効率の良い集客法である
「メルマガ」
でした。当時は配信スタンドの「まぐまぐ」さんを使ってダイエットに興味のある人を集めて、商品を売るということをしていました。
正直私は「ダイエット」には興味はないです。ですが、文章を書いて自分の体験を書いて問い合わせをさせたのです。
そして、商品を売るのです。私の文章ではこないので、メンターである彼に添削して、付け加えてもらって配信していきました。
ですが、ダイエットでは今1つ。問い合わせもパラパラ。
「こんなのでいけるのかな・・」
と思いながら続けました。そして、もう1つ「ビジネス」でメルマガを書くことにしました。
そして、1つ目。メンターに添削してもらった書いたところ・・
「68件の問い合わせ」
が来たのです。当時はわけがわかりませんでしたが、それなりの結果だったようです。
そして、資料を送ってもらって、ようやく売上が23万円となったのです。
ですが、実感はわきません。ですが、形になったのです。そして、次々とメルマガを発行していきました。
実はこれは「まぐまぐ規約」ではやってはいけないことだったのです。(あとで知った)
だから、ドンドン審査も落とされていきました。申請だけでいうと60誌以上。申請が通ったものでいうと30誌。
メルマガをドンドン発行していきました。タイトルも工夫しながら、ビジネス、健康などとテーマを変えて。
実はここでは「タイトルの重要性」も学びました。タイトルによって読者の集まり方が違うのです。
頭を使っていろいろのタイトルをつけていきました。当時流行していて本のタイトルから
「金持ち父さん、貧乏父さんから学ぶ」
というのもの発行しました。これは2000名弱の読者が集まりました。また、当時の小泉首相とスマップの「ライオンハート」から
「ライオンパート」
ともじって「パート主婦」を対象にしたメルマガも発行しました。これは失敗しました。中には
「スマップの話かと思ったのに・・」
というクレームもいただきました。
また、まぐまぐで新着メルマガは新着順の紹介なので、週の変わり目の最初に申請すると一番上に紹介されてよいことも学びました。
1日多いとき3誌発行したこともあります。ところがいろいろあってその会社は辞めることにしました。
さらに今まで結果が出なかった、あの掲示板から問い合わせがき始めたのです。
多いときで1日40件。自分でもぴっくりしました。まさに「継続は力なり」です。
そして、メンターと一緒にその会社を辞めて別の「健康商品の会社」の代理店をすることになったのです。
ところがうまくいきません。新しい移ったその会社では
「販売元が乗っ取られる」
「販売手数料が未払い(月20万円)」
「家族の病気」
が続いて。その会社の代理店も辞めてメンターとは結局お互いに別べつの仕事をすることになったのです。
インターネットビジネスの調子が悪くなっても、当時の塾はまだまだうまくいっていません。すぐにでも塾の他に仕事をしないといけません。
家族の病気のためにも月20万円以上、インターネットで収入を得ないといけないのです。
私はさらにインターネットで仕事を続けました。
「健康食品の販売」
「介護用おむつの販売」
など次々に商品を販売したものの
「どれもパッ」
としなかったのです。結局
「教育関係の仕事」
にしか自分自身が情熱を持てなったので、
「教育関係のソフト」
を販売することになったのです。ですが、自分ではホームページを作れません。今まではメンターが代わりに作ってくれていましたが、今度は1人です。
だから、今度はサイト作成のテンプレートを購入したり、メンターのサイトの真似させてもらったりしました。
今度は
「夜も塾をやっている」
のでドンドンサイトも作っていくことができました。
「師匠」から教わった「メルマガ」もドンドン発行していきました。
「子どもの成績をグングン伸ばす方法」
「百ます計算でグングン伸ばそう」
「受験英語をイッキに伸ばした方法」
「夏休み受験英語偏差値10上げた方法」
と次々の発行していったのです。
そして、1か月で200時間以上かけてやった最初の月の売上がなんと・・
続く。
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