第1章|農業なんて、絶対にやらない。

「農家になんて、なるもんか」

子どものころの私は、そう思っていました。


——いや、正確には、そう思わされていたのかもしれません。


私は北海道・厚真町に生まれた農家の長男です。
山口家は五代目。わが家は明治32年(1899年)、淡路島からこの地に渡ってきて以来、120年以上もの間、農業を続けてきました。


とはいえ、私の育った家は決して「のんびり田舎暮らし」といったものではありませんでした。


父は町内の仕事に出ながら、稲作に加えて、芋やカボチャの栽培、和牛20頭以上の飼育と——まさに朝から晩まで働き詰めの兼業農家。


母はその裏側で農作業を支えつつ、私たち三人兄弟の子育てもこなしていました。

そんな母から、子どものころから繰り返し言われていた言葉があります。

「農家にだけは、ならないで」
「だからもっと、勉強しなさい」

農業の大変さを一番そばで見てきた母の、切実な願いだったのでしょう。


だけど——正直に言えば、私は勉強が大の苦手でした。




私は三人兄弟の長男。
弟とは年子で、妹は6歳下。よく弟とは喧嘩をしました。
ただ、不思議なことに、勉強ができ、やそろばんや習字では、いつも弟が先に進級していきました。


「なんでお前はできないの?」

母にはいつも怒られていました。心の中ではいつも肩身の狭さを感じていたのを覚えています。
学校の先生にも、「弟くんは優秀だね」と言われる始末。


私はどこか「できの悪い兄貴」だと、自分にレッテルを貼っていました。




そんな私は、小さいころから農作業が大嫌いでした。


友達と遊びたい時でも、「芋掘りするから手伝いなさい」と言われる。


牛の世話、雑草取り、収穫の手伝い……“あたりまえ”として与えられる作業の数々。

どうにか逃げようと、部活に残って帰りを遅くしたり、友達の家に寄ったりして時間をつぶすのが日課でした。


特に辛かったのが、夏休みや冬休み。
他の子が旅行に行ったり、遊園地に行ったりしている間、私に待っていたのは牛小屋の掃除。
あの独特の匂い、重たいスコップ、汗と糞にまみれた時間……。


子どもにとっては「地獄の自由時間」でした。

牛がいる家には休みがない。
旅行なんて、夢のまた夢。
「また、どこにも行けなかったな」
そんな思いが、いつも心に残っていました。




だからこそ、農業とは違う道を選びたかった。
18歳で専門学校に進学し、20歳からは栗山町でサラリーマンとしての人生を歩み始めました。
農業とは違う世界で、自分の生き方を見つけたい。


そんな思いで家を出たのです。

それが、のちに「ハスカップ農家」としての道を歩むことになるとは——
この時は、まったく想像もしていませんでした。

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