いざ能登へ 活動記録①

2泊4日の能登の活動から戻ってきました。

ボランティアの基本である「怪我なく無事に帰ること」ができて、まずは安堵しています。


今回の経験は、様々なことを思いました。

自分の整理の為の記録として、そして何より、現地に行った者として、能登の状況を伝えなければならない!という使命感に駆られ、この文章を書き始めています。

どこに着地するかわかりませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。




10月12日(土)合流場所の七尾市に着いたのは、深夜1時。蒜山から9時間以上が経過してました。

やはり、想像以上の長旅でした。




そこで車一台に同乗し、更に2時間車を走らせ活動拠点の珠洲市に向かいます。

深夜にも関わらず、至る所で道路工事が行われ、通行する車も多いのが印象的でした。




明け方4時、珠洲市に到着。農協の駐車場で、1時間ほど仮眠しました。



目覚めると,目の前の建物は崩れておりました。




夜明けと共に、珠洲市内の被災状況を見て周りました。


車窓から見える景色は、言葉が見つからないほどの惨状。10か月経った状況とは思えない手付かずの状況が広がっています。




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海岸は津波のあとも。





更に3週間前に起きた豪雨災害の爪痕も至る所に見られます。




ご一緒したA松さんは、阪神淡路大震災をきっかけに立ち上げたボランティア団体『ユーアイアソシエーション』の代表で、毎年1月16日〜17日に伊丹市昆陽池(こやいけ)公園で追悼のつどいを続けています。私も蒜山にUターンした今も、関わらせていただいているので、気がつけば30年来のお付き合いとなっています。


A松さんは、発災直後の1月から何度も能登に足を運んでいます。

そんな彼から、この10か月の様子や課題を教えてもらいつつ、過去の災害に比べても明らかに復旧が遅い状況を目の当たりにしました。

言葉の端々に、過去の教訓が生かされていない憤りが伝わってきます。


いつも寄っているという、早朝から開いているガソリンスタンドへ。店の窓にはA松さんが送ったという、兵庫の子どもたちからの応援幕が掲示されています。

満タン給油と万が一用にタンクにも入れてもらいながら、先日の豪雨の被害状況などを伺いました。生々しい現地の方の声を聴き、胸が痛くなる一方で、力強い言葉も聞くことができました。

お店は痛んでいながらも、営業を続けている姿を見て、これからの作業に向け、気合いが入ります。


朝食を買いにコンビニへ。復旧工事の業者さんやボランティアさんで店内は大行列。


8時ごろ、今回お世話になるFお父さん宅に伺います。

Fお父さんは、地震で自宅と工場を被災されました。A松さんは、共通の知り合いのT中さんを通じてFお父さん宅に向かい、直接支援を続けてこられました。

やっと復旧の一歩を踏み出はじめた矢先、3週間前の豪雨水害で自宅前の田畑が川となったそうです。

工場に通じる橋も流され、工事に置いてあるトラックなども動かせない状況とのことでした。






そんな大変な状況下でも、今回はFお父さんのご自宅ではなく、お知り合いのお家のお手伝いすることが、私たちの任務ということでした。

自分のことよりも、地域やお知り合いの方の為に奔走されていること頭が下がります。


Fお父さんの先導の下、「緊急車輌以外立ち入り禁止」と表示される道に入り、山を越え反対側の海側の集落に向かいます。




トンネルが崩落したのでしょうか、迂回路は突貫で通れるようにした旧道で、至る所で崖崩れが見られました。







山越えし、海沿いの国道を走ります。近くには、能登伝統の塩田がいくつもありました。

白い岩がむき出した美しい海岸線は、海が遠いです。聞けば、土地が隆起して、海岸線が遠くなっているのです。白く見える岩たちは、海底にあったものなのです。




地形を変えてしまった地震のパワーに驚きつつ、小一時間走り、作業の現場に到着しました。


(つづく)





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