「1人の子どもに、1人のメンタルコーチを!」スポーツメンタルコーチング/トレーニング

1人の子どもに、1人のメンタルコーチを!
​–心の土台を育み、未来を切り拓くパートナーとして–

スポーツメンタルコーチ 
峯 聖(みね さとし)

ホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。

ここでは代表挨拶として、私自身のこれまでの歩みと、なぜ私が「1人の子どもに、1人のメンタルコーチを!」という人生をかけた強い使命を掲げて活動しているのか、その背景にある想いを書かせていただきました。

少し長くなります。しかし、子育てや子どものスポーツ、そしてご自身の生き方に悩むすべての方へ届くよう、私の人生の歓喜、そして這いつくばるような挫折のすべてを偽りなく綴っています。

​最後までお読みいただければ幸いです。
本人写真

「どうせ自分なんて…」限界を決めた15歳の冷めた諦めと、人生を変えた恩師の『在り方』​​

中学時代
私の野球人生、そして指導者としての原点は、15歳のときの「諦め」から始まりました。

中学3年生のとき、周りのレベルを見る中で「自分にはプロの世界なんて無理だな」と、早々に自分の限界を決めつけてしまいました。
​「どうせ自分なんてこんなもんだろう」――。
​どこか冷めた心境で、自分の可能性に蓋をした瞬間を今でも覚えています。

しかし、そんな私の心を救い、新たな道を示してくれたのが、当時の担任の先生でした。
その先生は、言葉で綺麗ごとを言うのではなく、ただ真っ直ぐに、泥臭く、どこまでも子どもたちのために全力で接してくれていました。
​その背中、その『大人の在り方』に、私は言葉にできないほどの猛烈な感動を覚えたのです。

「こんな大人になりたい。私も、子どもの可能性に寄り添う先生になる」

限界を決めて冷めかけていた少年の心に、一本の確固たる炎が灯り、私は教員への道を志し始めました。

大学3年、突如訪れた「イップス」という絶望。マウンドに立つのが怖かった

大学時代
その後、大好きな野球を続けながら琉球大学へと進学しました。
​しかし、人生最大の試練は、大学3年のときに音もなくやってきたのです。

ある日突然、ボールがまともに投げられなくなる――「イップス」の発症でした。

昨日まで当たり前にできていたキャッチボールすらできない。
​手が震え、コントロールを失い、試合に出れば四球を連発する日々。
​「チームに申し訳ない」という罪悪感と、何よりも「なんて格好悪いんだ」という強烈な羞恥心で、マウンドに立つのが怖くてたまらなくなりました。
​なんとかしなきゃ、と焦れば焦るほど、体は硬直していきました。

結局、私のイップスは今も直っていません。

​しかし、私はピッチャー陣のチーフ(キャプテン)という立場でもありました。
「このまま、イップスを言い訳に何もせず逃げ出す姿だけは、絶対に後輩たちに見せたくない」

その意地とプライドだけが、私を突き動かしました。
​冬の過酷なトレーニング、激しい走り込み、誰よりも泥臭く背中を見せることで、ボロボロになった自分の居場所を必死に繋ぎ止めようとしていたのです。

暗闇の先にあった奇跡。忘れられない大学最後の「ウイニングボール」

そんな私を、神様は見捨てませんでした。大学4年生の最後、九州遠征の公式戦でのことです。

チームの大量リードで「このまま5回コールド勝ちになる」という劇的な展開の最終回、監督が「峯、行くぞ」と、私をマウンドに送り出してくれたのです。それまで練習試合ですらストライクが入らず、苦しみ続けていた私を、です。

緊張で破裂しそうな胸を抑えて投げたそのイニング、奇跡が起きました。
​私がイップスになって以来、ほぼ初めてと言っていい「三者凡退」。
​3人の打者を完璧に抑え、試合を締めくくったのです。

コールド勝ちのため、私は「勝利投手」の権利を手にしました。
試合後、手渡された白球。
​今でも思い出すだけで涙が出るほど嬉しい、最高のウイニングボールでした。
​苦しい状態の自分を信じて起用してくれた監督、そしてそれを我がことのように認めてくれたチームメイトへの深い感謝は、今でも私の心の奥底に大切に生き続けています。

この経験が、私に教えてくれました。
「結果がどうあれ、今ここで全力を尽くすことには絶対的な価値がある。人生は自らの力で切り拓くことができるんだ」と。

「正論」で縛る指導からの脱却。子どもたちに全てを委ねて掴んだ「大逆転ホームラン」

監督時代
野球部
大学卒業後、念願の教員となり、愛知で12年、沖縄で2年の計14年間、子どもたちと向き合いました。
​野球部の顧問としても8年間、情熱を注ぎ込みました。

自分がイップスで苦しんだからこそ、「勝ち負けより人間力が大切だ!」と熱く語り、最初は地区大会3位など、ある程度の結果も出ていました。
​しかし、ふと子どもたちの顔を見たとき、激しい違和感に襲われたのです。

子どもたちの表情に、本当の笑顔がない。どこか「やらされている感」が漂っている。
そう、当時の私は、勝たせたい一心で「もっと頑張れ」「なぜできない」と、自分の「正論」を押し付けるだけの、未熟な指導者だったのです。
​私の正論は、かつてのイップスのように、子どもたちの心を縛る呪縛になっていました。

「このままではいけない。子どもたちが主体的に、心から楽しく挑戦できなければ意味がない」

そう決意した私は、ある1年間、大きな賭けに出ました。
​練習メニュー、試合のオーダー、戦術、すべてを子どもたちに委ね、ミーティングもすべて主体的にやらせるという挑戦です。

結果は、驚くべきものでした。そのチームは、これまでで最高の成績を残したのです。
極めつけは、負けたら終わりの最後の大会、準決勝。また3位で終わってしまうのか、誰もが諦めかけた最終回、子どもたちは違いました。
​土壇場から、なんと大逆転ホームランを放ち、勝利をもぎ取ったのです。

あきらめずに白球を追いかけ、自分たちの力で奇跡を起こした3年生たちのあの姿、あの歓喜の瞬間は、今でも私の目に鮮明に焼き付いています。

新天地・沖縄での挫折、転々とした仕事、そして再び教壇へ

授業
人間力の木
子どもたちの主体性と人間力を育てる教育をもっと深く追求したい。
​その強い想いを胸に、私は大きな決断を下します。
​12年間勤めた愛知の教員を辞め、家族5人(妻と3人の子どもたち)を連れて、沖縄県へと移住したのです。

しかし、待っていたのは想像を絶する厳しい現実でした。

沖縄での1年目、生活のために就いたのは未経験の学習塾の「教室長」でした。
保護者への提案、体験授業の獲得、来る日も来る日も炎天下でのチラシ配り……。
​これまでに経験したことのない数字のプレッシャー、辛さ、苦しみに、心も体もすり減っていきました。

弱音を吐きそうになった私の足を、ギリギリのところで踏み留まらせてくれたのは、他でもない、愛知に置いてきた「教え子たち」の存在でした。
​私は中学校3年生の学年主任を全うし、彼らに「人間力を大切にしよう」と常に熱いメッセージを贈って、この沖縄へやってきたのです。

「あの子たちにあれだけ偉そうなことを言っておきながら、自分がこんなところで簡単に挫折して、格好悪い姿を見せられるか!」

車の中で、あのとき教え子たちに贈った卒業ムービーの音楽を聴くたびに、涙が溢れました。
​「あの子たちに恥じない生き方をするんだ」。
​その一念だけで、私は血を吐くような営業職の苦しみを乗り越えることができました。

その後も、仕事は順風満帆とはいきませんでした。
​食品工場で働いたり、様々な葛藤を抱えながら仕事を転々とする日々。
「自分はいったい、何のために沖縄に来たのだろうか……」
暗闇を彷徨うような日々の中で、私の魂はやはり「子どもたちの教育」を求めていました。

私はもう一度、覚悟を決めて教員採用試験を受け直しました。
​そして、沖縄の小学校教諭として、再び教壇に戻る切符を掴み取ったのです。

移住4年目、泥泥の歩みの先に出会った『在り方』の真理

沖縄の小学校で再び子どもたちと向き合う日々。
​教員に戻れた喜びを感じつつも、私の頭には常にあの「教室長や工場勤務で這いつくばった経験」が生々しく残っていました。

学校の常識しか知らなかった自分が、社会の荒波に揉まれ、挫折を経験した。
「だからこそ、子どもたちに伝えられる『本当に社会で生き抜くための心の強さ』があるはずだ」

模索を続ける移住4年目、ついに私は運命の出会いを果たします。
​それが、脳科学や心理学をベースにした「スポーツメンタルコーチング」でした。
その学びは、私のこれまでの14年間の教員人生、イップスの絶望、そして沖縄での挫折、全ての点と線を一気に繋ぎ合わせる、衝撃的な答えでした。

そこで突きつけられたのは、他でもない自分自身の『在り方』の重要性です。

『結局は、自分自身が常に学び、変化していくことが大切だと気づかされた。自分の人間力向上に矢印が向いた』

子どもを変えよう、コントロールしようとするのではない。
​指導者や大人が、自分自身の人間力を磨き、背中を見せる『在り方』こそがすべてなのだと。

私が変わり、言葉がけが変わると、私の家庭にも劇的な変化が起きました。
​当時、3人の子育てでいっぱいいっぱいだった妻が、私の変化を見て「私もタロットをやってみたい!」と、自ら新たな挑戦へと一歩を踏み出してくれたのです。これ以上ない喜びでした。

そして、指導者以上に子どもの心に影響を与える存在――
​「お父さん、お母さん」が変わり、家庭が「絶対に安心できる安全基地」になれば、子どもは今ここで全力で挑戦できるようになる。
​この確信から、私は「ホームメンタルコーチ養成講座」を主宰し、学校という枠を超えて全国へ届けるために独立を決意しました。

人生をかけた魂の使命:「1人の子どもに、1人のメンタルコーチを!」

紆余曲折の人生を経て、私が今、命をかけて成し遂げたいと誓う最大の使命。
それが、「1人の子どもに、1人のメンタルコーチを!」です。

これは、すべての子どもに外部の専門家をつけるという意味だけではありません。
子どもを一番近くで見守るお父さんやお母さん、そして指導者の方々ご自身が、子どもの可能性を100%信じ、ありのままを受け止めて伴走する「最高のメンタルコーチ(理解者)」になってほしい、という願いです。

もしも、私が15歳のときに「どうせ無理だ」と限界を決めてしまったとき、
もしも、大学3年でイップスになり、孤独と絶望の中でマウンドに立っていたとき、
隣で「心の仕組み」を優しく教え、寄り添い、共に戦ってくれるメンタルコーチがいてくれたなら、私の人生はどれほど救われただろうか。

だからこそ、私は今、目の前にいる子どもたちに、あの大学最後のウイニングボールのような「今ここで全力で生きる価値」を掴んでほしい。
​子どもたちが主体のチームが見せてくれた大逆転ホームランのような「人生は自らの力で切り拓ける」という心の強さを手に入れてほしいのです。

私が育った地域へ恩返しをしながら、そして沖縄の青い海のように広い心で、リアルやオンラインを通じて全国の皆さまと繋がり、家庭やチームのメンタルサポートに全力を尽くします。

メンタルトレーニングを通して、人間力を磨き、笑顔あふれる子どもたち、そして幸せな家庭を増やすことが私の生涯の夢です。

我が子の可能性を信じ、自らも学び、変化し、最高の『在り方』で我が子の伴走者になりたいと願う保護者様、指導者様。
​あなたのその尊い一歩に、私は人生をかけて本気で向き合い、全力で伴走することをお約束します。

志あるあなたとの出会いを、心から楽しみにしています。

​こんなに長い代表挨拶を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

峯 聖