歴史とスペルト
スペルトは9000年以上前から栽培され、現在まで食べ継がれてきた古代小麦です。特に小麦を主食とするヨーロッパにおいて、スペルトは常に人々の暮らしの中にありました。

古代
西アジアで栽培種となったスペルトは、黒海沿岸からヨーロッパへ伝播したとされます。
西アジアで栽培種となったスペルトは、黒海沿岸からヨーロッパへ伝播したとされます。
ローマ時代には栽培が広がり、地域の穀物体系の一部を担いました。
初代皇帝アウグストゥスは貧困層や奴隷階級向け主食だったスペルトの粗いパン「パニス・クアドラトゥス」を好んだとされますが、人気取り目的だっという辛口の評価も残っています。
(ポンペイの壁画に残るパニス・クアドラトゥス)
初代皇帝アウグストゥスは貧困層や奴隷階級向け主食だったスペルトの粗いパン「パニス・クアドラトゥス」を好んだとされますが、人気取り目的だっという辛口の評価も残っています。
(ポンペイの壁画に残るパニス・クアドラトゥス)

中世
寒冷地ややせた土地でも栽培可能であったことから、忠誠を通じて庶民の主食でした。とくに14世紀から長く続いた小氷河期には、パン小麦の育たない地域で広く作られ、地域農業を支える穀物として定着しました。
(スペルトの刈り取り)
(スペルトの刈り取り)

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
12世紀に中部ドイツで活躍した女子修道院長ヒルデガルト・フォン・ビンゲンはスペルトを高く評価し、そのレシピが今日まで伝わっています。
(神の啓示を受けるヒルデガルト)
12世紀に中部ドイツで活躍した女子修道院長ヒルデガルト・フォン・ビンゲンはスペルトを高く評価し、そのレシピが今日まで伝わっています。
(神の啓示を受けるヒルデガルト)
近代
19世紀後半、農業の機械化と品種改良の進展により、収量が多く加工しやすい裸性のパン小麦が主流となりました。
19世紀後半、農業の機械化と品種改良の進展により、収量が多く加工しやすい裸性のパン小麦が主流となりました。
脱穀の工程を必要とするスペルトは次第に生産が縮小し、効率重視の近代農業の中で栽培面積を減らしました。
現代