【講師紹介】 内司和彦
鹿児島県いちき串木野市在住
◉1970年1月誕生。
好奇心旺盛な幼児期だったと思います。
小3からソフトボールを始めました。
そして、 中学・高校生まで野球に夢中でした。
中学3年生の時に練習のやりすぎで背中を痛め、当時は指圧を受け、何とか痛みを乗り切りました。
その時に、体を治療する仕事があるのかと知り興味を持ちましたが、まさか自分がこの仕事をするなんて!ぐらいにしか思いませんでした。
その後、東京で映像技術の職業に就きました。
その映像技術の仕事は睡眠時間が少なく休みも少なかったですが、毎日が楽しかったです。
しかしある日、会社の先輩に「内司、お前はカメラが好きか?」と言われました。
その時、好きです!と言えない自分がいました。
私は、仕事は好きでしたが、カメラが好きでない事に気が付きました。
それから自分の将来を考える毎日でした。
しかし何度考えても、10年後に自分が映像技術の仕事をやっているイメージが沸かなかったのです。
そこで決心をし、映像技術の仕事は辞めました。
仕事を辞めてからは、これから何をしようか?随分と悩みました。
東京の4畳半の部屋でこもって考えておりました。
するとある日、高校生の時、今の仕事(治療・指圧・整体)に興味があった事を思い出し、ビビッと来ました。
そしてスグに本屋へ行き、どうやったら治療の仕事が出来るのか?調べました。
すると専門学校へ行き、国家資格をとらないとならないと書いてありました。
22歳の時に日本指圧専門学校へ入学。
25歳で卒業しました。
学校は、指圧で一世を風靡した浪越徳次郎先生がいる日本指圧専門学校でした。
その後は鎌倉のある先生に修行をさせてもらい、今の技術を身につけ、27歳で地元に帰り開業、現在に至ります。
*現在も、毎月東京や大阪へ行き学び続けております。
私は、何事もキッチリと自分が納得いくまでしないと気がすまない性格をしております。私を信頼し、安心して内司治療院へお越しください。
◉苗字について
私の苗字の事をお話し致します。
患者さんによく、内司治療院の内司は苗字なのですか?とご質問があります。
内司(ナイシ)は、苗字です。
*ナイジと発音している方もおりますが、血縁関係にあります。
内司姓は大きな二つの流れがあり、私は江戸時代に先祖が神社の巫女を代々していた家系です。
本家とは役200年前に繋がっております。
平成16年のデータですが、全国に世帯数が34戸とありました。
全国には、およそ120人の内司姓の方がおります。
*現在はもっと減少しており、100人を下回った可能性があります。
内司の言葉の発祥は古く、古代中国で発祥致しました。
文献から紀元前からある様で、中国のお寺の秘書的な仕事、神様へ仕える人、皇帝の秘書的機関など、秘書的な意味合いを持つ人や場所を指すようです。
*古代中国では、大事な場所や人をナイと発音していたそうです。
大事な人、大事な場所(ナイ)を司(ツカサド)る。
日本でお寺が建てられた時に、その内司という言葉が一緒入って来たと思われます。
その後内司という言葉は、中国と同じようにお寺の秘書的な立場にあったようです。
その名残で、今でも京都や奈良の古い大きなお寺では、秘書的機関を内司室とか内司課と呼んでいるお寺があります。
また、日本の皇室でも内侍司(ないしのつかさ)という天皇のお世話をする機関が出来ました。
これは、中国の内侍(ナイシ・ナイジ)省という皇帝へ仕える機関をモデルにしている様です。
内侍司は、女性がメインの機関でした。
その中のトップを内侍(ないし)と言っておりました。
次に、その「ないし」という言葉は神社でも使われる様になります。
広島の厳島神社がおそらく最初だと思います。
皇族がお参りに行く様になり、神社内で部署が整備され、厳島内侍(巫女)と呼ばれたそうです。
その後、全国の神社でも巫女を内侍(ナイシ)と読んだりした地域があったそうです。
時は流れて江戸時代。
江戸時代は、神様と仏様が一緒(神仏習合)に祭られていたケースが多かったです。
神社に仁王さんがいたり、お寺に鳥居があった時代です。
私の先祖は神社の巫女を代々しており、祭祀では降霊をし、お告げをしていたそうです。
昔の巫女は霊能能力があったそうで、神の妻とか、巫女自体を神様と呼んでいたそうです。
私の先祖が巫女をしていた神社は、鹿児島県南さつま市にあります。
祭神は天之御中主(あめのみなかぬし)です。
先祖は熱心な仏教徒だったと調査をしたときに、近隣の方から聞いたことがありました。
当時は、神社の巫女と熱心な仏教徒が結びつかなく???でしたが、神仏習合の事を後に知り、解決致しました。
しかし、まだ問題が。
内司姓が発祥した起因でした。
① 神社の内侍(ないし) ⇒ 内司姓?
② お寺の内司(ないし) ⇒ 内司姓?
実は、歴史的に鹿児島県南さつま市の海沿いや川沿いは、貿易の拠点となっておりました。
密貿易が行われていた歴史があります。
その密貿易で薩摩藩は膨大な利益を得て、藩の財政を安定させ、また、明治維新では長州と共にリード致しました。
お金がないと大きな事は出来ないですもんね。
*薩摩藩に利益をもたらす貿易の商人には、藩から刀や京都から綺麗なお嫁さんを褒美で与えられた言い伝えがあるそうです。
内司家の先祖が暮らしていた地域には、中国の貿易の商人が住んでおりました。
貿易で日本に入って来た中国の商人、または、日本から中国へ行っていた商人経由からダイレクトに、中国のお寺の秘書的な内司の存在が伝わり、江戸時代に神社の巫女を代々していた先祖がその言葉を苗字として使った可能性が高いかもしれません。
内司姓が発祥したのは全国の中で、この地域の私の先祖の一例だけです。
なので、特殊要因が高いです。
*先祖に聞ければ一番いいのですが~。
こう言った事はロマンがありますね。
【事務局紹介】 内司亮太
1998年9/28日生まれ
鹿児島県いちき串木野市生まれ
2022年3月国際系の学部を卒業
ITの会社で数ヶ月サーバーの運用保守業務を経験後2023年2月に株式会社Naishiに入社
ツクツク代理店事業と縦巻き横巻きオンラインの事務関連とマーケティングを担当