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【KENJUKU/健塾 メルマガ】児童精神科医は子どもの味方か?

先日、文部科学省より発表された調査結果を受けて、小中学生の8.8%が発達障害だという根拠の無い言説が独り歩きしています。そして、早期発見・早期支援が必要だ!専門家を増やせ!などという声が広がっています。

しかし、そのような中でも冷静な声も出てきています。
―教育新聞2023年1月31日 自律しようとする子どもを「発達障害」とみていないか(木村泰子)
https://www.kyobun.co.jp/commentary/c20230131/

さて、そもそも専門家につながったところで、そこで正しい診断や適切な治療がなされるのでしょうか?

『児童精神科医は子どもの味方か』より一部引用します。
https://www.amazon.co.jp/dp/4909542477




【専門家は正しい診断、適切な治療をできるのか? 】
 本当はそうではないのに誤って発達障害のレッテルを貼られるのは現実的にあり得る話です。では、そうなってしまった場合にどのような不利益を被るのでしょうか。それは取り返しのつく話なのでしょうか。ある実例を挙げます。

 2021年7月6日、福岡地裁小倉支部において、とある民事裁判の第一回口頭弁論が開かれました。訴えられたのは北九州市立総合療育センターを運営する市福祉事業団でした。原告側には当時13歳の中学2年女子生徒がいました。

 その女子生徒は、2歳のころから言葉の遅れが見られ、3歳だった2011年に同センターで知的障害、広汎性発達障害と診断されました。ところが、小学5年生になった2018年、特別支援学校の担任教諭から「唇の動きを読んでいるので、耳が聞こえていないのでは」と指摘され、他の病院の検査で「オーディトリー・ニューロパシー」と呼ばれる難聴であったことが判明しました。



 オーディトリー・ニューロパシー(AN)とは、1996年に初めて報告された聴覚障害です。中、高音域は音として比較的よく聞こえる一方、言葉の聞き取りが極端に悪いという特徴があります。新生児の聴覚検査には、音に対する反応を内耳まで検査するもの(耳音響放射検査)と、音に対する反応を聴神経や脳幹まで検査するもの(聴性脳幹反応検査)の主に2種類ありますが、前者だけの場合はANが見過ごされてしまいます。通常の難聴は両検査ともに無反応ですが、ANの場合、前者は反応あり、後者は無反応となります。つまり、内耳で聞き取れても脳で聞き取れないという状態です。
 
 この女子生徒の場合、生後まもなく聴覚検査を受けたものの、耳音響放射検査のみであったためANが見過ごされてしまいました。ただ、報道によると「何度も難聴ではないかと訴えたが検査を受けさせてもらえなかった。」と母親は取材に答えており、母親の訴えにセンターが耳を傾けていたら、もっと早い段階で誤診が判明し、適切な治療や教育を受けられていたかもしれません。
 
 女子生徒は人工内耳を埋め込む手術を受け、声を出して簡単な会話もできるようになりました。しかし、本当の原因であるANが判明するまで、声が聞こえる知的障害児、発達障害児として扱われたため、7年半も適切な教育を受ける機会を逃したことになります。それは取り返しのつかないことです。
 
 ANについて報告した論文を1996年に発表した東京医療センター臨床研究センター名誉センター長の加我君孝医師は、「ANによって言葉の遅れが目立つ子どもは、知的障害や発達障害と診断されてしまうことも少なくありません」(メディカルトリビューン=時事2020年8月25日)と説明しています。
 
 このような悲劇は、除外診断が十分になされないことで起きてしまいます。操作的診断では、同じ症状を引き起こす他の原因を除外するというステップが不可欠ですが、「他の原因」に関する知識や視点をどこまで持てるかが肝心です。そのような視点を全く持たず、単にチェックリストに当てはまるだけで診断を下すような医師もいます。操作的診断手法の限界や、除外診断の大切さ、誤診の恐ろしさを十分に理解しているまともな医師であれば、母親の訴えに耳を傾けたでしょう。
 
 実は、同センターでは以前にも問題が発生していました。同センター唯一の常勤の児童精神科医が危険ドラッグを所持していたとして、2017年1月18日に医薬品医療機器法違反容疑で書類送検されたのです。同児童精神科医は1月30日に依頼退職したものの、後任がすぐに見つからないという理由でその翌日にセンターは臨時職員として再雇用しました。
 
 報道によると、この児童精神科医が発達障害やうつ病の中高生を中心に約450人をたった一人で担当していました。地元紙西日本新聞には、「医師は神様のような存在。事件を知り、患者の親には激震が走った」という、同児童精神科医から広汎性発達障害の子どもの診察を受けているという母親のコメントが紹介されていました。他にも、松尾圭介センター長の「精神科は担当医師と患者の関係性が強い」という説明がありました。これらは、児童精神科医のすさまじい影響力を物語っています。
 
 患者や家族にとって、その児童精神科医が本当に正しい診断、適切な治療をしているのかどうか判断などできません。この母親のように、児童精神科医を神様のような存在とみなすのであれば、ただただ疑いを持たずに信じるしかないでしょう。これははたして健全な関係と言えるのでしょうか。
 
 結局のところ、たとえどれだけ神格化されようが、児童精神科の専門家が人格的に優れているとは限らず、順法精神があるとは限らず、正しい診断や治療ができるとは限らないというのが現実です。そして、診断や治療には常に危険性が伴い、誤った診断や治療は子どもの未来を完全に狂わせてしまうほどの影響力を持つというのが現実です。

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