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週間レキオに掲載頂きました。100年先も残したい沖縄の味

皆さま

おはようございます。

梅雨明けして暑さがやばいですね。

皆さま熱中症にならないようにお気をつけください。

さて、先週ですが

琉球新報の副読紙週間レキオにご掲載頂き

道の駅ぎのざ店、うるマルシェ店共に多くの年配のお客様にご来店頂き、てびちは本当にウチナーチュのソウルフードとして根付いているのだなと改めてびっくりさせられました。


只今レキオ掲載の特典と致しまして

4コ入りのてびち唐揚げパックのお客様

レキオを見たとおっしゃって頂きましたら

さらにてびち1コをプレゼントさせて頂きます。

是非、この機会に道の駅ぎのざ店、うるマルシェ店に足をお運び頂けましたら嬉しく思います。


それでは皆さま

今週末も楽しい時間をお過ごしくださいね^_^




【100年先も残したい沖縄の味】


沖縄の豚食文化の歴史のお話しです。

是非お時間ある時に読んでみてください。


沖縄豚肉料理の美味しさを100年先まで
てんぷす食堂の目指すところ
琉球王朝時代の普及から、戦前、そして戦後にかけて様々な経緯を経て現在に続く沖縄の豚食文化。
先人たちが繋いできた沖縄の豚の歴史をこれからも紡いでいくために沖縄豚肉料理の美味しさを私達の形で100年先まで残していけたらと考えております。


【沖縄豚食文化の歴史】
沖縄では「豚は鳴き声以外、全て食べる」
バリエーション豊かな沖縄の豚肉料理ですが、そもそもなぜ沖縄ではこんなにも豚肉が生活に欠かせないものになっているのでしょうか。
普段から豚肉に馴染みのある沖縄県民でも、実は意外と知らないことが多々あります。

戦前までは贅沢品だった豚肉〜琉球王朝時代から戦前〜
豚は、15世紀前後に中国の福建省地域から沖縄に伝わったとされています。ただし、一般庶民の間でも食べられるようになったのは、そのもっと後の18世紀以降のことです。琉球王朝時代に豚肉が普及した1つのきっかけは、中国からの客人(冊封使)をもてなすためだったと言われています。

「琉球王国へ招かれた冊封使節団は400〜500人もいて、半年〜8ヶ月もの間滞在したといいます。豚肉好きの中国人を歓迎するためには、どうしても豚が必要でした。しかし、この頃の琉球王国内だけでは豚肉を賄うことができません。そもそも、養豚のための豚のエサどころか、一般庶民の食べ物もそんなに豊富にある時代ではありません。そんな中で、冊封使のために1日20頭あまりの豚が彼らの食事として消費されたんです。琉球王国の手持ちではとても足りないので、奄美や沖永良部などの近隣諸島から豚を買い集め、何とかもてなしていたんです。

こうした事情もあって、王府は18世紀に入ると冊封使をきちんと迎えられるように養豚をする畜業者の数を増やします。ここで重要なターニングポイントになったのが、サツマイモの存在でした。

「1605年に野國總管が中国から持ち帰り、後に儀間真常が広めたサツマイモは食料不足だった人々の命を救ったと同時に、豚の数を増やす上でも画期的なものだったんです。というのも、イモが庶民の主食として普及することで、皮や葉っぱ、ツルなどが豚のエサになるんです。これがとても大きかった。イモの出現で養豚が広く浸透することになって、一般庶民の食生活にも徐々に豚肉が並ぶようになった」

これ以降、琉球処分の後の明治期に入ってからも沖縄は豚の飼育頭数全国一という活況を誇っていました。とはいうものの、実は日常的に豚肉を食べられるのは、一部の裕福な人たちに限られていました。養豚は普及しましたが、豚肉はまだ“高級品”という位置づけで、一般庶民は旧正月や旧盆の行事ごとの際に、年1〜2回食べられるご馳走だったといいます。

その後大正時代を経て昭和に入って戦争の足音が近づくと、豚食文化どころかそもそも食べることもままならない状況になっていきます。

戦後の食糧難を救ったハワイからの豚〜海を超えたウチナーンチュのつながり〜
終戦を迎えた沖縄では、戦火によりあらゆる家畜がほとんどいなくなってしまいます。当然、養豚業も壊滅状態。上述した通り、戦前は全国一の飼育頭数で1938年(昭和13年)には14万頭に上っていましたが、戦後の1946年(昭和21年)にはその1割以下に激減したといいます。

戦後しばらくすると、米国民政府主導で養豚業が再スタートしますが、豚の数があまりにも少ない状況だったため、米国や本土から西洋種の豚を移入することになりました。ただ、それでも畜産頭数の安定化には程遠い状態。その窮状を知って立ち上がったのがハワイ在住のウチナーンチュたちでした。豚は食糧になるだけでなく、その糞尿は肥料となって畑に恵みをもたらし、作物が育つことにもつながる。こう考えたハワイのウチナーンチュたちは、故郷への強い思いを原動力にして動きはじめました。

「故郷の同胞の生活を心配したハワイのウチナーンチュたちは『布哇(ハワイ)連合沖縄救済会』を立ち上げて、厳しい状況にある沖縄への豚の輸送作戦を実施します。彼ら自身も日系人として差別されて貧しい生活だったのにも関わらず、故郷のウチナーンチュのために資金を集めて種豚500頭余りを買い求めて、1948年に沖縄に輸送しました。ただ、この輸送もなかなか大変で、この頃の海にはまだ機雷もありましたし、台風で1度引き返してもいるんですよ。そんな苦労しながら、5,000kmの船旅を経て、やっとたどり着いたのが現在のうるま市のホワイトビーチだったんです。

輸送船「オーウェン号」に乗り込んだ7人のハワイのウチナーンチュは文字通り“命懸け”の航海を経て、豚を送り届けるという責務を果たし「七勇士」と呼ばれています。届けられた豚は、引き取りを希望する養豚農家が非常に多かったため、抽選で配布されたといいます。その後、4年の月日が流れたころには10万頭に達して沖縄の養豚業を復活させました。

琉球王朝時代の普及から、戦前、そして戦後にかけて様々な経緯を経て現在に続く沖縄の豚食文化。
先人たちが繋いできた沖縄の豚の歴史をこれからも紡いでいくために沖縄豚肉料理の美味しさを私達の形で100年先まで残していけたらと考えております。


てんぷす食堂
うるマルシェ店
https://maps.app.goo.gl/ZMd3zaqCSymKkLsT8?g_st=ic
道の駅ぎのざ店
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宜野座村で20年続く居酒屋
炭焼家てんぷす本店
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