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【生態系へ帰る旅ー第11回目】《食》の辿る暴走
こんにちは!
『ちょっと一服、ひとときの至福〜 ( ̄▽ ̄)〜3 』の《一福茶屋》です!
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講座内容のシェア、続きです。
12000年前〜8000年前、人類は定住し、農耕を始めました。
西アジア・中東では小麦、中米ではトウモロコシ、アジアでは米が栽培されました。
温暖化も進み、植物の生育に適した気候になっていました。
8000年前頃には家畜も登場します。
食肉用ではなく、労働力や、搾乳、皮革用です。
7000年前頃にはオーストラリア、南極以外の全ての大陸で、農耕が行われていました。
(北極は大陸じゃないので…)
人類の身長は10cmほど縮みましたが、人口は4倍に増えました。
推定ですが、12000年前の500万人から、7000年前には2000万人に増えています。
植物加工の技術が進み、パンやお粥が登場すると、離乳食として利用され、子供の離乳が4年から2年に短縮されたためです。
狩猟時代は広大な土地が必要だったため、少人数ごとにバラバラに暮らしていました。
農耕は狭い面積で多人数を養える上、多人数で作業するほうが効率が良いため、人びとは集団で暮らし始めました。
農耕技術が進み、生産量が増え、新しい果物や野菜も見つけ、新たに野生から家畜にした動物も増え、発酵などの保存方法も発展しました。
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生産量がどんどん増え、5500年前のエジプトで、とうとう史上初の余剰作物ができました。
余剰作物とは、つまり蓄財です。
余剰作物は売買され、商業の土台となりました。
農耕から離れ、様々な専門的職人となる層が登場しました。
そこから指導する者が現れ、統治者へと発展し、文明社会の成立となります。
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いきなり飛んで…、西暦1000年〜1300年頃、ヨーロッパで農業革命が起きました。
鉄が生産され、新しい鋤(スキ)が登場します。
動物に引かせ、効率的に農地を耕すことができるようになりました。
※余談ですが…。この鋤という農機具は《人類最悪の発明品》と言われたりもしています。(詳しくは後のメルマガで書きたいかも)
種の選別をしたり、3年輪作システム(三圃制)が確立したり、水車や風車の登場などで、生産量が3〜4倍になりました。
※三圃制とは、土地を3区画に分け、秋まき区画、春まき区画、休耕区画を順々に回していく方法。
グローバル経済の元、大規模単一栽培に取って代わられた
商業はさらに発展し、商品として売れる作物の栽培が始まりました。
食肉の生産量も、一気に増えました。
ここから、《食品》は《商品》に変わります。
生産は、《生きるための作業》から、《利益競争に勝つための活動》になりました。
低コスト大量生産を目指す道が出来あがったのです!
それを象徴するように、この時代に、砂糖、綿花、コーヒーなどのプランテーション経営が始まりました。
人権を著しく無視した経営が行われていました。
資本主義は、ここから発展していきます。
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砂糖の精製などの技術が、産業革命の下地にもなりました。
人口は、西暦1500年の5億人から、1750年の250年間で、8億人に膨れ上がりました。
対して、農地面積はそのままでした。
農業の生産能力はパンクし、ヨーロッパやアジアで、飢餓が広がりました。
ここからグローバル経済が始まります。
次回は、グローバルな食システムによって、何が起きたのか…? の予定です。
なかなか終われませんが、お付き合い下さい〜。
顔文字もなく、読みにくかったでしょうか?
(^人^)