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佐々木整骨鍼灸院

10月のお知らせ

10月の休診は日曜・祭日のみです。

今日は中秋の名月ですが、朝晩少し寒くなってきましたね。

温度差が激しく、自律神経の調整が難しい季節です。

そして今年はコロナの影響で精神的に不安定な方も多く、注意が必要です。

こちらのチェックリストでチェックしてみて下さい。

https://diamond.jp/articles/-/247210

もし当てはまるようでしたら、適切なケアをしましょうね。

★ 

苦痛はすべての思想よりも深い。笑いはすべての苦痛よりも尊い。

     ―――エルバート・ハーバード


経験は良い薬であるが、病気が治ったあとでしか手に入らない。

     ―――ジャン・パウル


少し知るために多く学んでおかねばならぬ。

     ―――モンテスキュー


人の光を藉(か)りて我光を増さんと欲するなかれ。

     ―――森鴎外


人間の行動は思考の最上の通訳者だ。

     ―――ジョン・ロック

★ 【運は人が運んでくる】



秋元康氏の心に響く言葉より…


「運」には、身分証明書がない。

これがあなたにとっての「運」ですよ、と誰も教えてくれないし、証明してくれるものは何もない。

だからこそ、「運」が来ていることを見逃(みのが)してしまう人が多い。


たとえば、知り合いの会社や取引先などから、

「うちの会社にこないか」

と誘われたとしても、その多くは、

「じつは、こんなこと言われちゃってさ」

と友人やカミさんに冗談で話すぐらいというケースがほとんどだ。


誘ったほうも、ヘッドハンティングなどというおおげさなことではなく、たんなるオベンチャラで口にしたのかもしれない。

だが、もしかしたら、それが「運」かもしれないのだ。

相手の言うことを真に受けて、思い切って転職したとたんに、思いがけなく伸びるという可能性だってある。


違う人生が開けることもある。

自分の意思とは関係ないところで起こる出来事は、何か理由があると考えたほうがいいのだ。


電車の中で、大学時代の同級生にパッタリ出会ったというのも、それなりの理由があることだろう。

実家のおばあちゃんの法事に行ったら、遠い遠い親戚にテレビで見かける著名人がいた、ということだってある。

その席で、たまたま言葉を交わしたというのも、何かの「運」に違いない。

ふだんの生活に何か小さな変化が起こったとき、それは「運」がある知らせなのだ。


ある日、街角で知らないおばあちゃんの手を引いて横断歩道を渡ったとする。

じつは、それが会社の社長のお母さんで、それがきっかけで偉くなる…なんていう「運」は、ドラマの世界にしか有り得ない。

どんなにツイていると言っても、そんなツキは期待するだけムダである。


そんなことより、もっと何気ない変化、いつもとは違う自分を発見するときが、すべて「運」のはじまりであり、「運」の女神の微笑みだと知っておくことである。

「運」は、それと気づかれずに、僕らの周りに忍び寄っている。

企画の実現のチャンスもまた、目の前にあるのかもしれない。

それを見逃してしまうよりは、むしろ過敏になり過ぎるくらい注意力を持っているほうがいいのだ。


「運」には身分証明書もなく、自己紹介もない。

その「運」をつかむには、状況の変化を読みとる繊細な感性が必要なのである。


『企画脳』PHP文庫
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秋元康氏は「運」についてさらにこう語っている。

『「天才とは1パーセントの才能と99パーセントの汗である」

といったのは、かのエジソンである。

天才的な発明王・エジソンにして、この言葉だからこそ、含蓄が深い。

自分の発明は、わずか1パーセントの才能に加えて、99パーセントの努力の賜物だと言っているのである。

そこで、僕も考えた。

「成功は98パーセントの運と、1パーセントの才能と、1パーセントの汗なのではないか」と。

世の中には、たとえいま売れていなくても、僕よりももっと才能がある作詞家がいるし、優秀な放送作家もいる。

そんな中で僕がここまでこられたのは、人との「出会い」だったと思うのだ。

どんなビジネスも、結局は人が運んできて、人との出会いのなかで生まれてくるのである。

その人との出合いは、けっして自分ではコントロールできないし、予測できるものでもない。

まして、みずから演出できるものでもない。

出会いがいつ起こるかは、「運」に握られている。

どんな人とめぐり逢うかも「運」によって左右される。

僕は、「運」がこの世を支配しているのではないか、と思うのだ。

ただし、「運」だけに頼っていいわけではない。

「運」だけだと98パーセントで、2パーセント足りないのだ。

その足りない2パーセントを軽んじて失敗する人もいる。

その「運」をさらに確実なものにするには、才能が必要だ。

せっかく「運」がめぐってきても、それに気づかなかったり、ラッキーな方向にみちびく才能がなければ、成功はできない。

たとえ才能があったとしても、その才能に溺れて「天狗」になったり、勉強不足で「井の中の蛙」になったりすれば「運」から見離されてしまう。』


運は人が運んでくるからこそ、自分が思ってもみないことが起こる。

自分の思考の中だけで考えていると、それは想定内に収まるだけなので、なんのサプライズも連鎖も起きない。

自分が考えてもみないことは、実は「あまり気が進まないこと」だったり「面倒に感じること」だったりする。

人から頼まれたことなどは、ほとんどがそうだ。


萩本欽一さんの言葉に、「イヤなほうから幸運の矢が飛んでくる」というものがある。

「嫌だな」と思ったようなことに「運」が隠されている、ということだ。

たとえば、「大失敗をしてしまった、もう終わりだ」などというような時だ。


「運は人が運んでくる」

だからこそ、人との出会いは大事だ。

それも自分の意思とは関係ない出会いに「運」が隠されている。

たまたま人から紹介されたり、偶然出会ったり、何かの役や講師などを頼まれたり…。

それらを、嫌な顔をせず、ニッコリと引き受ける。

そして、感謝の心で人と出会う。


なにげない「運」を大事にする人でありたい。

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