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【感動】森永製菓エンゼルマーク誕生物語

こんにちは。[セレクト・グッズ研究所]です。

私たちが子どもの頃から慣れ親しんでいる、

森永製菓の「エンゼルマーク」。

あの優しく微笑む天使のマークの裏側に、

一人の男の「壮絶な挫折」と「命がけの誓い」が

隠されているのをご存知でしょうか。

今回は、日本の西洋菓子のパイオニアであり、

森永製菓の創業者・森永太一郎(もりなが たいちろう)の

波乱万丈な歩みとともに、

知られざるブランドの原点に迫ります。



1. 自殺を考えたどん底の地で、見つけた「光」


1865年、佐賀県伊万里の陶器問屋に生まれた太一郎。

しかし幼くして父を亡くし、家勢は没落。

親戚の家を転々とする不遇な少年時代を過ごします。

24歳の時、一発逆転を狙って陶器を販売するために渡米。

しかし、待っていたのは厳しい人種差別と不況の壁でした。

事業はことごとく失敗し、

一時は自殺を考えるほど困窮を極めます。

そんな絶望の淵にいた彼に手を差し伸べたのが、

アメリカの熱心なクリスチャンの老夫婦でした。

彼らの無償の優しさに触れ、

キリスト教の洗礼を受けた太一郎は、

ある日、公園で運命の光景に出会います。


アメリカの子どもたちが、美味しそうに頬張っていた

「西洋菓子(キャンディーやキャラメル)」です。

「これを日本に持ち帰り、

まだ本物の西洋菓子を知らない日本の人々に届けたい!」

そう決意した太一郎は、

人種差別の激しい現地の菓子工場に飛び込み、

床掃除などの下働きから必死に製菓技術を学び始めました。

11年間に及ぶ、執念の修行期間の始まりでした。



2. わずか2坪からのスタート、そして大ヒットへ


1899年(明治32年)、帰国した太一郎は、東京・赤坂に

わずか2坪の「森永西洋菓子製造所」を設立します。

これが、現在の森永製菓の原点です。

当初は日本になじみのない西洋菓子はまったく売れず、

太一郎は自らリヤカーを引いて街頭に立ちました。


「品質第一」を掲げ、

日本の気候でも溶けないよう改良を重ねた

「ミルクキャラメル」がやがて大ヒットを記録。


日本中にその名が知れ渡ることになります。



3. なぜ「天使」だったのか? 意外なきっかけ


創業から数年が経った1905年(明治38年)、

太一郎は会社のシンボルマークを考案します。

そのヒントとなったのが、当時の主力商品の一つだった

「マシュマロ」でした。

アメリカでは、マシュマロの白くてふんわりとした質感、

優しい口溶けから、こう呼ばれていました。


「エンゼルフード(天使の食べ物)」


この言葉に強いインスピレーションを受けた太一郎は、

アメリカ時代に自身を救ってくれた

キリスト教への深い信仰心、

そして、

「お菓子を通じて日本の未来を担う子どもたちに、

夢と希望(甘い幸せ)を届けたい」

という強い願いを重ね合わせ、

天使(エンゼル)をモチーフにした

マークを登録したのです。



4. 時代を超えて、パッケージで微笑み続ける「祈り」


初代のエンゼルマークは、

お尻を向けた天使が下を向いている

クラシカルなデザインでした。


それが時代とともに洗練され、

1986年からは現在のデザインへと進化しています。


現在のマークは、

天使の羽と森永の頭文字である「M」を融合させたもの。

天を仰いで微笑むエンゼルの姿には、

伝統を大切にしながらも、希望に満ちた未来へ向かって

大きく羽ばたいていくという

企業姿勢が込められています。

異国のどん底で命を救われ、

お菓子に未来の夢を託した森永太一郎。

誕生から120年以上が経った今も、

あの「エンゼルマーク」は、

彼の「祈り」と「遊び心」をのせて、

私たちの身近なパッケージの裏側で

静かに微笑み続けています。

今日、お菓子のパッケージを手に取るときは、

ぜひその小さな天使の羽に注目してみてください。

それでは、また次回のメルマガでお会いしましょう。


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