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「なんか泣ける――心の奥が動くとき」
こんにちは。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
何か映像を見たり、音楽を聴いたりしたとき、
わけもなく涙がこぼれることって、ありませんか?
私、つい最近あったんです!
ワールドシリーズ第7戦で、ドジャースが勝利した朝の情報番組の映像。
天を仰ぐ山本投手に、チームメイトが駆け寄るその姿を見て、
朝食の準備そっちのけで、なぜか涙があふれてきちゃって…。
特に野球が好きなわけでもないのに、不思議な気持ちでした。
「なんか泣けた」という感覚。
それは、心が何かにふれて「動いているよ〜」というサイン。
理屈ではなく、ふとした出来事に涙が出てしまうような体験。
あります?
私には、いつでも泣ける場面があります。
特にこの2つ。
ソチ五輪での浅田真央選手のフリー演技が終わった瞬間。
そして、『星の王子さま』で王子が星に帰る場面。
「なんか泣ける」は、私たちの中にある共感や
つながりを知らせる、静かな合図なのかもしれません。
でもそれは、理屈や説明できるようなものじゃなくて、
もっと無意識の感性の中…
「奥底の私が、なにか言ってる」
そんな感じがします。
そしてその、理由のわからない涙は、
気持ちの揺らぎを、整えてくれる気がします。
歌詞がささる歌を聞きたくなるように、
ときどき泣いてみたくなることもあるんです。
涙って、次の一歩を踏み出すための、静かなエネルギー。
浄化作用があるっていいますよね。
最近、あるドラマのセリフが印象に残りました。
「何もなくなっちゃった」とつぶやいた登場人物に、
「なくなっちゃったということは、
前は確かに“あった”ということだよ」と返す場面。
その言葉に、なにか安心した気持ちが残りました。
失ったことを思い出す痛みも、
誰かを想うやさしさも――
それらすべてが“感情の余韻”として、
私たちの中に残っていく。
そしてそれが、やがてアートや表現、
“自分らしさ”へとつながっていくように思います。
「自分の感情がよくわからない」こともありますけど
でも、奥底にはちゃんとある。
感じ方に正解なんてない、ですよね。
「なんか…」で心が動いたとき、
それはもう立派な感性。
「大丈夫、自分の“感じ方”でいいんだよ」
と、自分に言ってあげよう。
感性って、アートと同じで、
うまく言葉にできなくても、たしかに“ある”もの。
感性はアートの源であり、
アートは、見えない感性を具体的に五感に感じさせるもの。
どちらが先というよりも、
おたがいに響き合いながら存在している。
感性が刺激を受けて、それをアートとして表現し、
そのアートを誰かが見て、また感性が動かされる。
感性はアートを生み、アートは感性を育てる。
この循環こそが、表現の面白さであり、
長い時を超えた、人とのつながりなのかもしれません。
あなたの“心のサイン”は、なんですか?
ついつい長くなってしまいました。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。