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アルベルゴッティ伯爵家の壁紙
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アルベルゴッティ伯爵家の壁紙
アルベルゴッティ伯爵家の壁紙はベルサイユ宮殿の改装の際に
移したものだそうです。
著名な人物として後述にあるフランチェスコ・アルベルゴッティは
フランスのルイ14世の側近として重用されていました。
フランチェスコ・アルベルゴッティ(Francesco Albergotti, 1304–1376):中世を代表する法学者。「solidae veritatis doctor(堅固な真理の博士)」と称され、法律学の著作も多数残しています。
アルベルゴッティ家の概要
起源と歴史
アルベルゴッティ家は古代ゲルマン系の家系で、870年頃、初代のテバルド・アルベルゴッティ(Tebaldo Albergotti)が皇帝に仕えアレッツォに定住したのが始まりとされています。
その後、この家系はカステッロ(城塞)を多数所有し、カシネントのトッポレ城、アルジャーノ城、カステルヌオーヴォ城などの領主として繁栄しました。
政治・宗教への関与
アレッツォにおいて、アルベルゴッティ家はグエルフォ派(教皇側)を代表する有力な家系で、有力な政治・軍事勢力でした。他の重要なグエルフォ家と並び、都市の支配に大きな影響力を持っていました。
教会でも影響力を発揮し、三人の家出身の司教が務めています:
ジョヴァンニ I(1371–1375年)
ジョヴァンニ II(1375–1390年)─ 対グエルフォ派勢力とし
て、フィレンツェ支配を目論み、一時国外に逃れたことも。
アゴスティーノ(1802–1825年)
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著名な人物
フランチェスコ・アルベルゴッティ(Francesco Albergotti, 1304–1376):中世を代表する法学者。「solidae veritatis doctor(堅固な真理の博士)」と称され、法律学の著作も多数残しています。
フランソワ・ゼノベ・フィリップ・アルベルゴッティ(François Zénobe Philippe Albergotti, 1654–1717):トスカーナ出身で、フランス王ルイ14世の下で軍務に服した高位将軍。数々の戦争で活躍しました。
マルチェッリーノ・アルベルゴッティ・ベルトラーミ(Marcellino Albergotti Beltrami):13世紀にアスコリ・ピチェーノ及びアレッツォ司教を歴任し、反皇帝派として知られています。
文化的・建築的遺産
アレッツォには、家系の繁栄を象徴する「パラッツォ・アルベルゴッティ」が存在します。ネオクラシック様式の壮麗な建築で、「彫像の宮殿(Palazzo delle Statue)」とも呼ばれています。
現在この建物はイタリア文化省の保護機関、環境・建築・芸術遺産監督局(Soprintendenza)の所在地となっており、一部の内部(たとえば庭園など)が見学可能です。
また、家系の文書や歴史的記録はアレッツォ州立公文書館(Archivio di Stato di Arezzo)に保存され、1699年や1712年には初期の目録が作成されました。さらに、19世紀にはアントニオ・アルベルゴッティ(Antonio Albergotti, 1758–1841)が詳細に整理し、1835年には索引つきの目録を完成させました。