ABOUT US
私達について
真珠堂のジュエリー(ブランド名・アルベルゴッティ)には、ここ深川門前仲町からNew Yorkへと、そしてイタリア・トスカーナの1000年の貴族アルベルゴッティ家に至るまでの私たちの50年の経験と技術が込められています。ジュエリー製作には品質、デザイン、製作技術の3つの基本があると思います。まず “品質”に関しましては私、安倍がアメリカ宝石学会 GIA 鑑定士としてすべてを把握します。 “デザイン”はジュエリーデザイナーでありクリエーターであるREIKOが担当します。彼女はお客様の個性を一瞬で見極めて、お客様にぴったりのデザインをご提案するという特別な感性を持っております。さらに世界のスーパーブランドのCEOやジュエリー業界の重鎮で世界を知る宝飾史研究家やイタリアのジュエリーデザイナーの巨匠などからそのデザインの才能に対して大いなる評価を頂いています。“製作技術”を担当するのはSHUNです。彼はニューヨーク ファッション工科大学ジュエリーメーキング科を卒業し、当時の当社ニューヨーク支店の天才クラフトマン吉澤導星に師事しました。そして彼の技術と精神を今に引き継ぎ当社の特許商品を始め、こだわり抜いた作品を製作しています。そして3つの基本に加え大切にしているのがジュエリーに籠める“感動”です。私たちの作品創りに関して“感動”とは美しい自然、文学や音楽です。そしてリフォームや修理においてはジュエリーに籠める “思い”です。お祖母さまやお母さまの思い出やご自身の思いがジュエリーに籠った時、それは次の世代へと引き継いで頂ける宝物になるはずです。真珠堂にはお客さまの思いがあり、夢があり、そしてドラマがあります。さて私が吉澤導星と共にニューヨークでアトリエとジュエリーショップを経営し、DDC ダイアモンド ディーラーズ クラブでダイアモンドの買い付けをしている中で考えてきた事は、「日本人が創るべきジュエリーとは何か?」という事です。世界のスーパーブランドが立ち並び、あらゆる人種が行き交うニューヨーク・マンハッタンで、欧米のジュエリーと同じような物をただ作っているだけでは全く意味がありません。日本には世界に誇る文学があります。音楽があります。それらにインスパイヤーされた感動を日本人独自の細やかな感性で表したデザイン、そしてそのデザインを具現化する技術、、日本には刀剣や鍔にあしらって来た彫金の技術があります。和彫り、沈金など数々の職人が “匠の技” を競っています。それらが融合した時に日本ならではのジュエリーが誕生すると信じています。その全てをコーディネートするのがまさにクリエーターREIKOなのです。さて私たちが文学で主にテーマにしているのは、『宮澤 賢治』です。賢治は幼少の頃、”石っ子 賢ちゃん”と呼ばれるくらい石が好きでイギリス海岸で石集めに熱中していました。また19世紀初頭、海外で発明された合成ルビー・サファイアの工場を東京に建てようとし、さらに宝石店をも開きたかったそうです。(法政大学国際日本学研究所教授・賢治研究者 王敏先生談)かくして賢治の詩や童話の中にはキラキラと煌めく星々と一緒にたくさんの宝石が登場します。の賢治の”心象スケッチ”をREIKOが、自分自身の感性でジュエリー作品として表現するのです。なお宮澤賢治文学をテーマにした作品の製作にあたり、私は1996年3月17日、まだ雪残る花巻林風舎(http://www.e-haweb.com/home/rinpoosha/index.html)に宮澤清六様(1904年・明治37年4月1日生- 2001年・平成13年6月12日没)をお訪ねしました。清六様は賢治の実弟で賢治の死後、世間に広くその文学を知らしめた方です。当時九十一歳だった清六様は、『冬と銀河ステーション』の詩(賢治の詩と英訳文)をテーマにした私たちのジュエリーを興味深く手に取って見て下さいました。そして林風舎代表・宮澤和樹さん(清六様お孫さん)と共に、宮澤賢治文学をテーマにして作品を製作することを快く良く承諾して下さいました。これはその際に清六様から頂いた本とサインで、私の宝物です。その後、作品が出来上がるたびに清六様には御報告をさせて頂いて来ました。さらに日本の英文詩の第一人者の東洋大学文学部名誉教授・郡山直先生(https://www.toyo.ac.jp/site/news/21718.html)に賢治の詩を英訳して頂くことが出来ました。先生ご自身の英文詩は英語圏の国々の小中高の教科書に二十六篇も掲載され、世界詩人会議には日本の代表として出席された方です。
先生に英訳して頂いた12篇の賢治の詩は、林風舎・宮澤和樹氏を通じて、宮澤賢治記念館に寄贈させて頂きました。和樹氏のお父様でいらっしゃいます、宮澤雄造館長からは『英訳文書は当館では資料としまして、正式にお引き受け致します。』との丁重なお手紙を頂きました。また音楽に関してお話したいのはまずピアニストの加古隆さんとのコラボです。
以前NHKで“映像の世紀”というドキュメンタリー番組があり、そのメインテーマ曲が
『パリは燃えているか』です。皆さんも何度かお耳にしているはずです。『パリは燃えているか』銀座王子ホールでの加古さんのコンサートにおいてこの曲を基に製作したジュエリーをソプラノ歌手が身に付け、加古さんご自身は『ジブラルタルの風』という曲をテーマにしたブローチを付けてピアノをお弾きになりました。そして芸大准教授・吉田浩之氏が紀尾井ホールのコンサートとCDで『キャンドル イン ザ ウィンド』を唄うので、それに因んだジュエリーの製作をプロデューサーから依頼されたREIKOが瞬時にデザインしたブローチがこの『悲しみを星にかえて』です。これを彼はタキシードに付け舞台で唄い、CDにも組み込まれました。また韓国のテノール歌手・フィージンのやはり紀尾井ホールのコンサートでは、日本の有名なチェリストとの競演ということで、宮澤賢治の『セロ弾きのゴーシュ』のブローチを彼が身につけ唄いました。その際には美智子皇后さま、現在の上皇后さまのご臨席を賜り感動的なコンサートになりました。かれはルーブル美術館のミケランジェロ担当の写真家、ロダン美術館の依頼による彫刻作品の撮影、パリの東洋美術を収蔵しているギメ美術館の芸術監督、フィレンツェの通称ミケランジェロ美術館(カーサ・ブオナロッテイ)での個展、東京都写真美術館で個展にはやはり美智子皇后さまがいらっしゃりました。またハーバード大学での講演、パリの5大国立美術館からは日仏政府間の依頼で写真の寄贈を求められ、日本においては伊勢神宮、出雲大社の撮影を依頼され、その特別装填本は伊勢志摩サミットにて日本政府から各国首脳に贈呈させ、直近では紺綬褒章を叙勲される等、その経歴は枚挙にいとまがありません。芸術写真家であり、また同時に優れた商業写真家でもある彼はスパーブランドのジュエリー撮影も手がけて来たそうです。しかしコンサートに絡み私たちのジュエリーを撮影した彼は以降全ての他社のジュエリー撮影を断り、300点もの私たちのジュエリーをボランテイアで撮影して下さいました。ある時増浦さんはアサヒグラフで『トスカーナの貴族たち』という企画でイタリアの貴族たちを撮影し、
その中にフィレンツェからやや南、アレッツオの街のアルベルゴッティ家があります。アルベルゴッティ家は1000年以上の歴史を持つ誇り高い貴族で、ワイン製造やアグリツーリズモの経営を主とし、高名な日本画家・堀文子先生が長期滞在し画業に専念するなど、何人かの著名人も訪問している名家です。後日表敬訪問した増浦さんはこの街・アレッツオがイタリアのジュエリー製造の中心地のひとつでもあることから、『日本にも素晴らしいジュエリーがありますよ。』と話したところ、アルベルゴッティ夫人ロザルバさんは『そのようなジュエリーなら私も見てみたい。』とおっしゃったそうです。そして『もしジュエリーを持ってデザイナーが来てくださるなら、私がそれらを付けて、あなたが写真を撮り、宣伝写真として使っても良いですよ。』とまでおっしゃったそうです。海外での肖像権に関しては非常に高いハードルがあります。まして貴族です。大変にありがたいお話です。私とREIKOは増浦さんの案内でアルベルゴッティ家を訪問することになりました。そこはまるで時間がゆったりと流れているような心地よい空間で、ご家族は大歓迎して下さいました。夫人は私たちのジュエリーを付け少女のようにはしゃいで、増浦さんは沢山の写真を撮りました。
撮影後ディナーになり自家製造のワインを頂きながら楽しいひとときを過ごしていた時に、
夫人から『あなた方はどのような思いでジュエリーを創っているのですか?』と質問されました。先に述べましたとおり、“日本人が創るべきジュエリー”また“ジュエリーに込める思い”をお話したところ、ルネッサンス以降、芸術家やマエストロを支援することで伝統を守り文化を育んで来たアルベルゴッティ家の審美眼に適い、その名を冠することを許された誇りを胸に刻みながら、多くの皆様に身に付けて頂き、そして代々引き継いで頂けるジュエリーを真摯に創り続けて行くという決意を私たちは新たに致しました。素晴らしい方々との出会いに心から感謝をしております。そしてこれらの私たちの経験の集大成が真珠堂のジュエリー(リフォーム・修理)には籠められています。
先生に英訳して頂いた12篇の賢治の詩は、林風舎・宮澤和樹氏を通じて、宮澤賢治記念館に寄贈させて頂きました。和樹氏のお父様でいらっしゃいます、宮澤雄造館長からは『英訳文書は当館では資料としまして、正式にお引き受け致します。』との丁重なお手紙を頂きました。また音楽に関してお話したいのはまずピアニストの加古隆さんとのコラボです。
以前NHKで“映像の世紀”というドキュメンタリー番組があり、そのメインテーマ曲が
『パリは燃えているか』です。皆さんも何度かお耳にしているはずです。『パリは燃えているか』銀座王子ホールでの加古さんのコンサートにおいてこの曲を基に製作したジュエリーをソプラノ歌手が身に付け、加古さんご自身は『ジブラルタルの風』という曲をテーマにしたブローチを付けてピアノをお弾きになりました。そして芸大准教授・吉田浩之氏が紀尾井ホールのコンサートとCDで『キャンドル イン ザ ウィンド』を唄うので、それに因んだジュエリーの製作をプロデューサーから依頼されたREIKOが瞬時にデザインしたブローチがこの『悲しみを星にかえて』です。これを彼はタキシードに付け舞台で唄い、CDにも組み込まれました。また韓国のテノール歌手・フィージンのやはり紀尾井ホールのコンサートでは、日本の有名なチェリストとの競演ということで、宮澤賢治の『セロ弾きのゴーシュ』のブローチを彼が身につけ唄いました。その際には美智子皇后さま、現在の上皇后さまのご臨席を賜り感動的なコンサートになりました。かれはルーブル美術館のミケランジェロ担当の写真家、ロダン美術館の依頼による彫刻作品の撮影、パリの東洋美術を収蔵しているギメ美術館の芸術監督、フィレンツェの通称ミケランジェロ美術館(カーサ・ブオナロッテイ)での個展、東京都写真美術館で個展にはやはり美智子皇后さまがいらっしゃりました。またハーバード大学での講演、パリの5大国立美術館からは日仏政府間の依頼で写真の寄贈を求められ、日本においては伊勢神宮、出雲大社の撮影を依頼され、その特別装填本は伊勢志摩サミットにて日本政府から各国首脳に贈呈させ、直近では紺綬褒章を叙勲される等、その経歴は枚挙にいとまがありません。芸術写真家であり、また同時に優れた商業写真家でもある彼はスパーブランドのジュエリー撮影も手がけて来たそうです。しかしコンサートに絡み私たちのジュエリーを撮影した彼は以降全ての他社のジュエリー撮影を断り、300点もの私たちのジュエリーをボランテイアで撮影して下さいました。ある時増浦さんはアサヒグラフで『トスカーナの貴族たち』という企画でイタリアの貴族たちを撮影し、
その中にフィレンツェからやや南、アレッツオの街のアルベルゴッティ家があります。アルベルゴッティ家は1000年以上の歴史を持つ誇り高い貴族で、ワイン製造やアグリツーリズモの経営を主とし、高名な日本画家・堀文子先生が長期滞在し画業に専念するなど、何人かの著名人も訪問している名家です。後日表敬訪問した増浦さんはこの街・アレッツオがイタリアのジュエリー製造の中心地のひとつでもあることから、『日本にも素晴らしいジュエリーがありますよ。』と話したところ、アルベルゴッティ夫人ロザルバさんは『そのようなジュエリーなら私も見てみたい。』とおっしゃったそうです。そして『もしジュエリーを持ってデザイナーが来てくださるなら、私がそれらを付けて、あなたが写真を撮り、宣伝写真として使っても良いですよ。』とまでおっしゃったそうです。海外での肖像権に関しては非常に高いハードルがあります。まして貴族です。大変にありがたいお話です。私とREIKOは増浦さんの案内でアルベルゴッティ家を訪問することになりました。そこはまるで時間がゆったりと流れているような心地よい空間で、ご家族は大歓迎して下さいました。夫人は私たちのジュエリーを付け少女のようにはしゃいで、増浦さんは沢山の写真を撮りました。
撮影後ディナーになり自家製造のワインを頂きながら楽しいひとときを過ごしていた時に、
夫人から『あなた方はどのような思いでジュエリーを創っているのですか?』と質問されました。先に述べましたとおり、“日本人が創るべきジュエリー”また“ジュエリーに込める思い”をお話したところ、ルネッサンス以降、芸術家やマエストロを支援することで伝統を守り文化を育んで来たアルベルゴッティ家の審美眼に適い、その名を冠することを許された誇りを胸に刻みながら、多くの皆様に身に付けて頂き、そして代々引き継いで頂けるジュエリーを真摯に創り続けて行くという決意を私たちは新たに致しました。素晴らしい方々との出会いに心から感謝をしております。そしてこれらの私たちの経験の集大成が真珠堂のジュエリー(リフォーム・修理)には籠められています。