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メールマガジン バックナンバー
不完全のちから=他力の美
前回は「完璧の3つの顔」をご紹介しました。
今日は、その逆にある「不完全のちから」についてお話ししますね。
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余白に宿る美
前回、桃山時代の画家・長谷川等伯の《松林図屏風》をご紹介しました。
松林を描いているのに、実際に描かれている松はほんの数本なんです。
大きな余白の中に霧や空気を感じさせる…。
とても、不思議ですよね。
描いていないからこそ、かえって想像がふくらむんです。
これって、不完全だからこそ広がる美なんじゃないかなぁ。
人はきっとそこに幽玄さや気高さを見いだしてきたんですね。
安らぐというより、むしろ背筋をすっと伸ばしたくなるような静けさです。
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盆栽に見るせめぎ合い
盆栽も同じように感じます。
大自然の憧れの姿を小さな鉢の中に表そうと、人は枝を縛ったり形を整えたりします。
でもね、自然って思いどおりにはならないんです。
枝がねじれたり、葉が枯れたり…。
そこに“人の思い”と“自然の力”のせめぎ合いが見えてきます。
その思いどおりにならないのが、むしろ盆栽の魅力になっているんですよね。
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他力の美
そして、自らを「板極道」と呼ぶ版画家の棟方志功。
彼が下描きをせず、顔を板にすり寄せて(視力が弱かったからです)、
「ありがたい、ありがたい」と唱えながらガンガン彫り進めていく姿をTVでみたことがあります!
一心不乱とはこのことだと思いました。
棟方志功は「美は自分が作るのではなく、与えられるものだ」と語りました。
自分の力で完璧を目指すのではなく、大きな力に委ねて生まれてくる美。
これこそ柳宗悦が言った「他力の美」と呼んだ感覚と、ぴったり響き合ったのです。
自分の思いどおりに作るのではなく、
“何か大きな力に委ねている”かのような姿。
柳が初めて棟方の作品を見たとき、あまりの迫力に仲間へこう電報を打ったといいます。
「化け物が現れた、すぐ来い」
完全を目指しても人の力だけでは届かない。
でも“不完全さを受け入れて委ねる”とき、逆に大きな美が与えられる。
これが「不完全のちから=他力の美」なんだと思うんです。
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不完全って、決して欠点じゃないんです!
余白やゆがみがあるからこそ、そこに想像や物語が入り込む。
それが私たちの心を耕してくれるんだと思います。
――私たちの日常にも、“不完全のちから”ってあると思いませんか?