アルベルゴッティ

mail magazine backnumber

メールマガジン バックナンバー

インドラの網 宮澤 賢治

当社デザイナーREIKOは詩歌からインスパーヤーされた作品を多数発表しています。
www.shinjudo.net

インドラの網 宮澤 賢治
                  ーーー前略
天の子供らはまっすぐに立ってそっちへ合掌しました。
 それは太陽でした。厳かにそのあやしい円い熔けたやうなからだをゆすり間もなく正しく空に昇った
天の世界の太陽でした。光は針や束になってそゝぎそこらいちめんかちかち鳴りました。
 天の子供らは夢中になってはねあがりまっ青な寂静印の湖の岸、珪砂の上をかけまはりました。
そしていきなり私にぶっつかりびっくりして飛びのきながら一人が空を指して叫びました。
「ごらん、そら、インドラの網を。」
 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変わったその天頂から四方の青白い天末までいちめん
はられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、
透明清澄で黄金で又青く幾億互に交錯し光って顫へて燃えました。
「ごらん、そら、風の太鼓。」も一人がぶっつかってあわてて遁げながらこう云ひました。
ほんたうに空のところどころマイナスの太陽ともいふやうに暗く藍や黄金や緑や灰いろに光り空から
陥ちこんだやうになり誰も敲かないのにちからいっぱい鳴ってゐる、百千のその天の太鼓は鳴ってゐながら
それで少しも鳴ってゐなかったのです。わたしはそれをあんまり永く見て眼も眩くなりよろよろしました。
「ごらん、蒼孔雀を。」さっきの右はじの子供が私と行きすぎるときしづかにこう云ひました。
まことに空のインドラの網のむかふ、数しらず鳴りわたる天鼓のかなたに空一ぱいの不思議な大きな
蒼い孔雀が宝石製の尾ばねをひろげかすかにクウクウ鳴きました。その孔雀はたしかに空には居りました。
けれども少しも見えなかったのです。たしかに鳴いて居りました。けれども少しも聞こえなかったのです。
 そして私は本当にもうその三人の天の子供らを見ませんでした。
 却って私は草穂と風の中に白く倒れてゐる私のかたちをぼんやり思ひ出しました。

中でも宮澤賢治氏からのジュエリー作品が多く、12の作品があります。氏の詩や童話の中には星々と共に多くの宝石が煌めいています。
ジュエリー作品の元になっている宮澤賢治氏の詩もお楽しみ下さい。
なお宮澤賢治文学をテーマにした作品の制作にあたり、一九九六年三月十七日、まだ雪残る花巻の林風舎に宮澤清六さんをお訪ねしました。氏は賢治の実弟で、賢治の死後、世間に広く宮澤賢治の文学を知らしめた方です。当時九十歳だった氏は、『冬と銀河ステーション』の詩をテーマにした弊社のジュエリーを興味深く手に取って見て下さいました。
そして林風舎代表・宮澤和樹氏(清六氏お孫さん)と共に、宮澤賢治文学をテーマにして作品を制作することを快く良く承諾して下さいました。
その後、作品が出来上がるたびに氏には御報告をさせて頂きました。
 また日本の英文詩の第一人者の東洋大学文学部名誉教授・郡山直先生に賢治の詩を英訳して頂くことが出来ました。先生の英文詩は英語圏の国々の小、中、高の教科書二十六点に掲載され、“世界詩人会議”に日本の代表として出席される方です。
 先生に英訳して頂いた12の賢治氏の詩は、林風舎・宮澤和樹氏を通じて、宮澤賢治記念館に寄贈させて頂きました。和樹氏のお父様でいらっしゃいます、宮澤賢治記念館の当時の宮澤雄造館長から『英訳文書は当館では資料としまして、正式にお引き受け致します。』との丁重なお手紙を頂きました。
 素晴らし方々との出会いに心から感謝をしております。

メールマガジン バックナンバー

過去にお送りしたメールマガジンをバックナンバーとして公開しています。

メルマガを購読する