ツリーベル教育研究所  【すーさんの学校】

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125【すーさんの学校】「若い力」を歌える国民でありたい

 コロナ前から気になっていたことがあります。
学校の体育大会で「若い力」を歌わなくなったことです。
かつて体育大会では、どれだけ大きな声で「若い力」を歌うことで生徒たちのモチベーションをあげるかでした。
しかし、この若い力を歌う学校が減っているどころか歌わなくなってしまいました。
確かに、開会式の短縮や指導の軽減の関係、そして体育大会と若い力のつながりがよく分からなからないということもあります。

 今年日本は戦後80年を迎えます。
1945年、日本の戦争は終わりました。
翌年、第1回目の国民体育大会(国体)が開かれました。
その時、日本は復興の道を進んでいました。
そこで、国民が一緒になって、元気の出る歌は歌えないのだろうかという提案から、生まれた曲が「若い力」でした。

石川県での第2回の国体でした。
その時のことを、金沢市の石原教育長は、次のように語っています。
  金沢市・石原多賀子教育長
 「 戦後間もない昭和22年に、石川県で国体が開催されました。
  その時に、皆が心を一つにして、これからの日本を再建し、
  若い人たちが元気で、一生懸命に希望と夢を持ってがんばろう!
  それにふさわしい歌をということで、この歌が作られました。」
1947年に石川県で開催された第2回国体は、世直し国体とも言われました。
敗戦から2年...、まだ食料も乏しく、運動着すら不足していた時代でした。
しかし全国からは、1万3千人もの選手が集まり、平和と復興への思いを込め、競技場いっぱいに躍動したのです。
そして、その年の大会歌として作られたのが「若い力」でした。
                  (「石川のギモン」より)

 このように、「若い力」は、国の復興と共に歌い繋がれてきた歌です。
この歌を中学校の体育大会で歌っていました。
今では、毎年当たり前のように開催されている国体ですが、日本国民が同場所でスポーツの祭典を行うことなど、戦時中は考えられなかったことです。
 「若い力」は、日本国民としての想いの詰まった歴史のある素敵な歌です。
この歌を歌うと、いよいよ体育大会だなと思います。
 私は、この「若い力」の歌と共に、歴史も語り繋がなければならないと感じています。
 知らないことがあると人は調べたくなるものです。

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