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「居て・捨てて・語る」をアートで考えると
~*~演劇哲学に美術表現を当てはめてみた~*~
みなさま、こんにちは。
最近、こんな言葉に出会いました。
それは――
「居て・捨てて・語る」
演劇界の巨匠、劇団四季の創設者・浅利慶太さんが
俳優に語ったとされる言葉です。
役者は、ウソのない存在として舞台の上に「居て」
何かを伝えようとする邪念や自我を「捨てて」
脚本家や原作者の思いをシンプルに「語る」
…そんな在り方を説いた言葉なのだそうです。
この言葉をアートに当てはめてみるとどうなる?
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「居て」
作品をつくるとき、
ちゃんと「今ここ」にいるかな?って、よく思います。
過去の評価を気にしたり、未来の不安がよぎったり。
「この瞬間の自分の感性・思い」に
ちゃんと向き合えているか…
線を引くとき、色を置くとき、
その一瞬一瞬に「今の自分」を込められているか。
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「捨てて」
描くときって、ついテクニックに頼ったり
「これが自分らしさだ!」っていう表現に
こだわりすぎてしまうこと、ありませんか?
でも、本当に伝えたいものに近づこうとするなら
そういう“技巧”や“こだわり”を
一度スパッと捨ててしまうといいんですね。
ただの線や、限られた色。
でも、そんなシンプルな中にこそ
本当の自分がふっと浮かび上がってくるような気がします。
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「語る」
アートって、言葉を使わないけれど
物語を何冊も語っていると感じています。
静かだったり、激しかったり。
そのときの思いのすべてが、ぶつけられている。
表現は自分と向き合って
「これでいい?」と自問自答すること――
(なかなか満足できないですけどね…笑)
でも、そこに純粋な気持ちが込められていれば
見る人にも、何かがじんわり伝わる気がします。
「なんかいいな」とか、「わかる気がする」って。
そういうのがいいなぁ。
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そういえば、教授にこんなことを言われたのを思い出しました。
「スケッチはたくさんしてきなさい。
そして、描くときはスケッチしたものは捨てて
なにも見ないでお描きなさい」って。
これもまさに「居て・捨てて・語る」ですね。
この言葉
*:*:*:*:在り方の原点に立ち返らせてくれる*:*:*:*:*: