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【book snack bar灯台】もっきりとアドラー
スナック灯台が入っている長屋の前を流れる大岡川は横浜の桜の名所のひとつだ。川沿いに桜の木が並んでいて、花見のシーズンには屋台も軒を連ねる。
ちょうど3人が座れそうなベンチが空いていたので、腰を下ろして、店から持ってきた木の升に「三千櫻」を注いで乾杯をした。
「はーい、かんぱーい!」
「うま!」
「美味しい、このお酒!」
升で飲むっていうのがまたいい。ほんのり木の香りもする。
「ほら、遠慮せずに飲んで飲んで。あとは手酌で好きにやって。」
「では、遠慮なく。」
勢い余って少しお酒が升からこぼれた。
「あっ、ごめんなさい。」
「やっぱそういうことよ。」
お酒のせいなのか、桜冷えする夜風のせいなのか、鼻先を赤くしたサクマさんがぽつりと言った。
「自分を満たして、溢れたものが大事なのよ。
この辺の居酒屋でも神奈川の地酒をもっきりで出してくれるところあるでしょ。お皿の上にグラスを乗せて、グラスから溢れるまでお酒を注いでくれるの。」
「ありますね~。地魚とか地野菜を出してくれるところですね。あそこ美味しいですよね。」
「そこそこ。でさ、あのもっきりのお酒って、グラスから溢れてお皿にひたひたになったお酒の方が美味しく感じたりしない?」
「あぁ、たしかに!お皿のお酒をずずってやるの美味しいですよね。」
「きっとアドラーの言ってることは、もっきりのお酒なのよ。」
「アドラーがもっきりのお酒ですか!」
「自己受容っていうのは、自分っていうグラスをそのままに受け入れることなの。肯定や否定という判断をせずに、そのままにね。そして、自分っていうグラスにたっぷりとお酒を注いであげるの。わたしを満たすお酒をね。それは仕事なんだと思うの。わたしというグラスに、仕事を満たしていく。そうしたら、溢れてくるのよ。溢れてきたものを受け取ってくれる升が他者信頼。他者信頼ってね、おすそわけを受け取ってくれるって思えることなの。升に溢れたお酒を、美味しそうにその人が飲んでくれたと思えたら、他者貢献なのよ。そしたら、それがうれしくてまた自分を満たせばいいの。それが続くこと、それが共同体感覚なのよ。」
ふわっとした風が川上から吹いてきて、桜の木が揺れた。花びらがひらひらと舞い、そのひとつがサクマさんの升に降りてきた。
「働くって、傍を楽にするからはたらくって言うんだって。この世界にはたくさんの仕事があるけど、どれもみんな周りの人を楽にするという意味では同等の価値がある。ご飯を食べた後のお皿洗いだって、放っておけば汚れ物は増えて、台所は片付かないけど、わたしが洗うから、家族みんながいつも清潔なお皿でご飯を食べることができる。でもね、誰かのためになるってことが先に来ちゃうとおかしくなるのよ。夕飯を食べた後に、家族はお腹いっぱいでダラダラテレビを見ているのに、わたしだけがお皿を洗ってると、あんたたちのためにやってるのに、手伝いもしないでってなるでしょ。誰かのためになるのは、結果なのよ。わたしは空っぽの器なの。みんな空っぽの器。働くことは、からっぽの自分を満たすってことなの。お皿を洗ってるんだけど、自分を満たしているの。トイレを掃除しながら、自分を満たしているの。」
「トイレ掃除をしながら、自分を満たしているか。」
「そう、トイレ掃除をするとからっぽのかとちゃんという器が満たされるのよ。そして、あふれだすの。あふれたものは、だれかがきっと受け取ってくれるだろうって、無条件で信じるの。きれいなトイレで用を足して、すっきりした顔のこどもを見て、あぁよかったなって思えるとき、わたしはこの子の役に立ってるって思うの。それが他者貢献なの。みんなの快適な生活のために、わたしを満たす仕事ができているということに、安心感を持てること、それが共同体感覚なの。」
ママの煙草の煙が、桜と一緒に宙を舞った。
「わたしたちの社会が、だれかが自分を満たしたことのおすそわけで成り立ってるって思うと、なんだか優しい気持ちになれるわね。」
「まずは自分はからっぽの器なんだって思ったらいいの。毎朝起きたときに、からっぽの器の自分を感じればいいの。からっぽってことは、空虚ってことじゃないのよ。自分を満たすことができるっていう可能性なの。そして、今日一日をお仕事をしながら満たしていく。誰かの顔を思い浮かべながら、喜んでもらえたらいいなって。でも、喜んでもらえなくてもいいの。だって自分は満たされているんだから。それで十分なの。それにだいじょうぶなの。自分を満たす仕事をしていると、かならずそれはだれかのためになるんだから。もっきりのお酒みたいにね。」
桜の花びらのはいった升酒を、サクマさんが一気に飲み干した。
「あぁ、美味しい!
こうやって空っぽにして、またお酒を満たしていく。それが人生よ。」
(終わり)
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